「周りの環境に頼らず、自分の内面に目を向ける」手段としての節約生活

「自分はいったい何のために節約生活を送っているのだろう?」 そんな疑問が、一週間のスウェーデン旅行中に頭をよぎった。

普段はなかなかケチな生活を送っているのに、

僕がスウェーデンにいるとき、(とはいっても一週間だけど) 財布のヒモが緩んでいたのに気づいたからだ。

それは現地での物の相場を知らなかったり、 日本円換算が面倒だったりで。(笑) (ちなみに、その時は1スウェーデンクローナ=13.5円で両替)

どんなにお金を貯めても貯めても、 出ていく時は出ていってしまう。

いつ何時災害が起こるかも分からない。

交通事故を起こしてしまうかもしれない。

自分に子供ができたとして、 その子供が誰かを怪我させてしまうかもしれない。

友達付き合いの中で、ときにはノリで遣ってしまうかもしれない。

そういった時のため・・・ そんな消極的な理由で貯めるのも悪くないけど本意ではない。

じゃああるうちに貯めないで全部遣ってしまえ!? それもしっくりこない。

せっせと節約している理由はもっと哲学的なものだ、と ドライブしていてふと思った。

生活レベルを一旦上げてしまうと その状態を手放すのはなかなか難しい。

モノをたくさん持っていればそれだけ動きづらくなるし、 高いサービスを利用しているのが当たり前になれば、 そこからランクを落とすことにためらいが生じる。

人生の中で、そういう膠着化を避けたいのだ。 それに、普段不必要にお金やモノに頼らないでいることで、 ちょっとした出来事が、楽しいと思える。 自分で設定した制約の中で、どれだけ工夫して 生活を楽しくできるか、ということ自体ももはや楽しみ。

だとすれば、 自分が望んだタイミングで お金の使い方以外の生活スタイルを変えたり、 いつでもどこでも小さな楽しみを作りだしたりするための、 積極的な態度でいる手段の一つが節約だ、 ということができるかもしれない。