どうせいつかは正社員

僕は会社を辞めるにあたって、 佐々木俊尚というジャーナリストが書いた本 『生存戦略としてのIT入門 自分でつくるセーフティネット』 という本に非常にインスピレーションを得た。 その中でも、とても印象深いところがあった。 今日、忘れないうちに図書館にいって、 慌ててその箇所を探した。

筆者が正社員として生きていたのは、まさに 正社員切符を手にいれれば、食いっぱぐれなかった時代のこと。 電車の窓から飛び降りたり、 途中下車してドロップアウトしたりするのは愚の骨頂。 でも、筆者にはこんな願望があったという。

「どうせ最後は電車に乗せられて、定年退職という終着駅に 自動的に運ばれて行っちゃうんだから、一回くらいは途中下車して、 自由に山野を放浪して草花を愛でたり動物をかわいがったりして、 のんびり遊んでみたい。しばらくの間でいいから・・・」 ー佐々木俊尚著 『自分でつくるセーフティネット生存戦略としてのIT入門』より

上に挙げた部分は、退職にあたって僕に勇気を与えてくれた。


「そう、どうせいつかは正社員」

そう、どうせいつかは正社員になるんだ。 「正社員」の求人が世の中に存在する限り、 そして「正社員になること」そのものを目的にしさえすれば、 いつだって正社員になれる。 そして、最終的にはそのまま定年退職という終着駅に・・・

「また正社員になれる保証はないのよ!」というのが 一般論として広まっているからこそ、この発想はまさにその逆。

でも待てよ?

「いつまでもこの知的好奇心と体力が続く保証はないのよ!」

そう言われても納得してしまわないだろうか?

となれば、

「会社を辞めたこと」よりも

「会社を辞めて何かやりたいと思ったのに、 辞めないまま定年退職を迎えてしまうこと」

への後悔の方が将来的には明らかにデカいんじゃないか?


「一回くらいはのんびり遊んでみたい」

「一回くらいは自由にのんびり遊んでみたい」

人間として、その欲求は非常にナチュラルだと思う。 このフレーズを見るたびに 「自分は自然にやろうとしているだけなんだ」 というところに戻ることができる。

もっとも、時間の使い方全体を見れば、 毎日毎日8時間も詰め込むわけじゃないから 「のんびり」だけれども、

自分の好きなことに没頭している時間は それはもうのんびりなんて言ってられないくらい 早く時間が過ぎていく。


エピローグ

会社を辞めるにあたって、僕は会社の部署の違う人から こんな言葉をかけてもらった。

「『やりたいこと』というのがあって、 それをやれるということは、それだけで幸せなんだよ」

何気ない一言だったけれども、今後もずっと心に残ることば。

今しかできないことは、正社員の切符を手にすることではなくて 今、心に沸き上がる「こうしたい」という気持ちを逃さないことと それに従うこと。しばらくしたらそのチャンスは消えるからね。

それに、自分の意志に従って「のんびり遊んで」 みることは、悪いことはないどころか自然なこと。

そのインスピレーションを与えてくれたのが、 この本だった、というが今日のはなし。