「節約」というよりも「パズル」
僕にとって、いわゆる「節約生活」とは、図のような感じだ。
(自分の時間を得るための、経済的制約と言った方が正確か?)
「譲れないもの」の大ピースがあって、
その他「妥協できるもの」のピースで埋める、パズルのようなもの。
ポイントは、
①「譲れないもの」は優先してはめるので、確実に満たされる
②「外枠=金額の制約に合わせてキッチリ正方形に組むこと」
そのものがひとつの楽しみになっている
ということ。
当たり前だけども、
「外枠」が明確ならきれいにピースを組めるし、
その「外枠」は小さいほどがパズルは簡単だ。
一方、外枠が明確でなければ
(無制限の残業代などで、収入が「出たとこ勝負」な場合など)
ピースをどんな風に組めば良いのか、完成形が見えない。
または、外枠が大きければ大きいほど、
組まなければいけないピースの数が多くなり、面倒なパズルになる。
(一部の、リッチ・ピープルは「大きいピースを使う」という
荒業を使うことができるが、彼らは「外枠」など意識しないはず)
ある日、400円を財布に入れて買い物に行った。
(予算しか財布に入れないことはよくある)
120円のカレールゥ(10皿分)
180円のたまご(10個入り)
100円のバナナ
を買い物かごに入れたのだけれども
どうしても100円のトマト缶が必要なことに気がついた。
でも、手元に400円しかないことに変わりはない。
そこで、ちょっと考える。
「8皿分だけど100円のカレールゥがあるよな」
「ちょっと割高だけど、120円で6個入りのたまごにしよう」
「どうせすぐ食べるし、熟して2割引になってるバナナでいいか」
そんな風にして、
400円でカレールゥ・たまご・バナナ・トマト缶を手に入れられた
という事実そのものが、僕のひとつの楽しみであり、
達成感を得られる瞬間なのだ。