酒造りの「ストーリー」的側面はいかなるものか

「酒造りではわざわざ面倒なことをやって、 それが『昔ながら』とか『手作業』とか、そういう言葉で ごまかされている。いわば、そういうことをやっていることに どこか『酔っている』風潮があるんですよね」

そんなことを半年以上前に知人の学生から聞いたのを ぼんやり思い出した。

この頃会社の持つ新旧二つの蔵を行ったり来たりしている。 そんななかでこんな風に思った。

「酒造りにおける蔵人の苦労や思い、梁むき出しのレトロな蔵、 厳しい寒さ、手作業などといった側面は、 古くからある設備の都合で、人力で『やらざるを得ない』ところに、 あえてストーリー性をもたせているだけなのだ」

その事に関しては肯定も否定もしない。 ただ、ストーリー性を持たせているにすぎない。 そういう事実がある、ということ。

それは一旦置いておいて、

今日、もろみ(酒を搾る前の米・麹・水の混ざったドロドロの液体) の入ったタンクに櫂入れ(棒でぐるぐるかき混ぜる、あれ)を していてふと思ったことがある。

「酒造りの一つ一つの作業を見るのって、結構面白いですヨ」

冒頭の話は何だったんだ?と思う方もいるかもしれませんが、 僕が言いたいのはこんなこと。

酒造りにストーリー性を持たせることで、 日本酒ビギナーへのハードルをあげることはしてはいけない。 (かといって、酔うためにガブガブ飲まれるのは不本意だけど) 苦労とか努力とか厳しい寒さとか手作業とか、 そういうことを恩着せがましく強調することは、 少なくとも僕の望むところではない。 (別に、今日では機械を使ってやれることも多いし、 環境的には漁師の方がよっぽど大変なことをやっているはず。 そもそも、作業風景と酒のおいしさは別の話なのだから。)

ただし、頭の中に何となくでも酒造りのイメージがある人や、 日本酒の魅力に取りつかれた結構なファン層にとっては ストーリー性を帯びた酒造りの作業風景を見ることは、 機械が活躍する現場を見るよりもよっぽどエキサイティングなはず。

そう、「ストーリー」はあくまでも 日本酒のアドバンスト・ステージ

日本酒に馴染みのない人は、ストーリー性なんて知らなくていいし、 そんなこと気にしないで美味しいものはおいしい、 おいしくない、または口に合わないものは合わないで、 どんなに高級な酒だって無理して飲むことは全くない。

逆に、そういう側面がもともと日本酒好きだった人に対して 日本酒への興味をさらに深めてくれる一因になるなら、 それは大いに歓迎すべきこと。