お菓子と社会保障のはなし

僕の職場には、 数人の決まった面子の子供が遊びにやってくる。 オフィスにドタドタと入って来ては (まぁ、それ自体は許容しているのだけれども) 結構な頻度で「食べるものは?」「おやつちょうだい」 というところから話が始まる。

(それは、読み手が思っているほど可愛くないゾ) もっといけば、勝手に冷蔵庫を開けたり、 お茶菓子ボックスを開けたりする。

僕はそういったマナーの悪い場合には大抵 「(お前にあげるおやつは)ねぇよ」とか 「ないことはないけど、 そういう人にはあげたくない」と 拒否する。

もちろん 育ち盛りを過ぎた僕も、おやつは好きだし、 おやつ狂い、というほどではないにしても、 普通に食べる。夕食を食べても、 なんとなくお腹いっぱいにしたくて おやつを食べることも、しばしばある。

そして、職場の性質上、 「シェアハウスのみんなで食べてね」と各方面から おやつや食べ物が集まってくる。 それを、シェアハウスの住人に分配したり、 地域の方に配ったり、もちろん、 僕たちの昼ごはんに使わせてもらうこともある。

話は子どもに戻って、 「地域で子供を育てる」というコンセプトには 賛同したいと思うし、共働きが当たり前の 現代社会では、放課後の時間に 子供に十分に構う余裕などないだろうし、 残業その他で帰りが20時近くなるようなら、 なおさらだ。あくまでも僕の終業時刻の18:00までの間、 ちょっと面倒を見てやるくらいなら、 「まぁやってやるか」くらいには思っているので、 そのことがよっぽどの負担だとは思っていない。

彼らが育ち盛りにあることを考えると、 食べさせてやってもいいような気がする。 だが、繰り返しになるが いかんせん、マナーが悪い。

マナーが悪いから、与えられないのか、 「満足に与えられないこと」への不満が、 マナーの悪さに現れるのかは、 僕にはわからないことだ。

小学生の彼らも夜になればご飯を食べ、 適当におやつも用意されている、 という前提で考えるなら、 他所に食べものを求める 切実な理由はないのだろうが、

彼らがもし

「誰が見てもわかるレベルでないが、 しかし(様々な事情により) 本当におやつを必要としている人」

「マナーが悪いからあげない」という 方針に対する考えはちょっと変わってくる。

それを、社会保障に例えると、 (いや、お菓子と社会保障を一緒にするな、 と言われればそれまでだが)

税金による社会保障を 「本当に必要だ」と思っている人が、 「本当に必要だ」と思っているからこそ、 強い(時には強硬な)態度で 「あれが欲しい」「これが欲しい」と、 個人として「それなりに満たされている」 役人に訴えたとする。

そうすると、心のどこかで

「これをやすやすと与えてしまっては、 相手の要求はどんどん膨らんでいき、 その結果、奴らは働かなくなるではないか。 働かせるためには、条件が必要だ」

と、中途半端に満たされ、 中途半端に我慢を強いられている職員が、 思ってしまいはしないか。

もしくは、 「税金は金持ちからたくさん取るべきだ!」 という意見について、 大多数の人は大金持ちじゃないだろうから、 それを支持するのだろうけど もし、自分がほんの一握りの 「持っている人」サイドだったとしたら、 しかも、それを当たり前のように主張されたら 「はい、そうですか、私が皆さんに代わって たくさん税金を払いますよ」 とは、いかないのではないだろうか。

そんなことを考えるにつけて僕は、

「どんなにマナーが悪かろうとも おやつがその場にあるうちは、 別に自分が損するわけじゃなしに、 まぁ、あげてやってもいいじゃないか」

という理屈もまた、 心の中に浮かんでくるのだけれども、

同時に 「地域コミュニティ」とか「ソーシャル」とかいう 概念を手放しで礼賛して、「共同体に回帰せよ」 などと言って自分の考えの存在を含め、 個人の考えをないがしろにしようとするのは 非常に不本意だ。

結局、子どもがその時の気分で 「あれがやりたい」「これがやりたい」 とコロコロ気持ちが変わっていくように、

僕も、その時にある食べ物・材料と あとはその時の気分で オヤツを「あげる/あげない」 「一緒につくる/つくらない」 というのを主張している。

が、異なる「正しさ」が絡んでいてモヤモヤしている。