僕は、みんなが知っている歌を、誰もいないところで歌いたい―需要と供給の話から―
昨日、僕は公園に一人でギターを持っていって弾いていた。 不用品回収業者で拾ってきた、安物のクラシックギターだが、 なかなか良い音を出してくれている。
1時間ほど気持ちよく歌ったり、ソロで弾いていたりしたけれど 帰ってきてからふと気付いたことがある。
自分は知らずのうちに「市場」感を意識しているんじゃないか?
●僕は、みんなが知ってそうな歌を歌おうとした
一つは、
僕は「できるだけ他人が知ってそうな曲を弾こう」とか、 「できるだけ他人が知ってそうな歌を歌おう」とか、 そういうことをほぼ無意識のうちに考えている
ということだ。
弾き語りをするにしても、ソロ・ギターで弾くにしても、 ビートルズを弾こうとか、カーペンターズを弾こうとか、 そんなことを考えている。その場合、 大好きな森山直太朗の歌でさえ、「さくら」や「夏の終わり」 以外は歌われないことが多い。
カラオケもそうだ。自分だけが好きな歌で、 他の人が知らなそうな歌はほとんど歌わない。
●僕は、他にギタリストがいないところで歌おうとした
もう一つは、 僕は、他にギタリストやミュージシャンがいないところで 歌おうとしたということだ。
昨日行った公園も、静かなところで 他に弾き語りをする人はいなかった。
そして、僕はそういう公園だと分かっていて、 その場所を選んだし、一度車にギターを置いたまま、 その公園をチラッとみて、人がいないとわかったところで ギターを持ち出すという徹底ぶり。笑
ちなみに、 僕の住んでいる諏訪エリアだけをとってみても、 弾き語りをする人が集まって順番に歌う、 みたいな音楽はたくさんある。
それはそれで楽しいんだろうけれども、 僕はどちらかと言えば、
人の少ない静かな公園にギターを持っていって、 目の前を通る人が、数人でも、数分でも、 足を止めてくれて、一曲きいてくれたなら、 そっちの方がよっぽど楽しいというか、嬉しい。
●需要のあるものを
「勝手に歌ったり弾いている音楽自体に 需要なんてあるものか」と言われればそれまでだが、笑
見て、聞いて、「嬉しい」とか「懐かしい」とか、 思ってもらえる音楽に、(潜在的な)「需要」があるとすれば、
僕は、そういう音楽の「需要」(みたいなもの)を 満たすことができたらな、という気持ちでギターを弾いている ことは間違いない。
需要供給曲線からすれば、 需要(全体)が大きいときなら、 供給側のクオリティは関係なく、 均衡価格が高くなる(=効果が高い)から、 みたいな感覚。
例えば、知っている歌なら、 例えシンプルな演奏でも、 聴いてなんとなく嬉しい気分になったり、 楽しい気分になる。 一緒に歌ってもらえるかもしれない。
それに対して、 よくわからないオリジナルの歌を、 スゲぇテクニックで披露しても 「お、おぅ」みたいな反応だ。
●供給の少ないところに
僕は、他にギタリストがいない場所を、 あえて選んでいる。
もし、その場に他に誰かいたとしたら、 自分が注目される(であろう)可能性は 半分に減ってしまうし、
聴いてもらうためには、まず 純粋に見る人の気持ちを満足させるのとは関係ない
「相手よりも注目されなければならない」という、 余計なハードルを越えなければならない。
それに、「あの人と比べてどうこう」という 相対的な評価ではなく、
「この人は、気持ちいい音楽を奏でている(or NOT)」という 絶対的な評価が(言葉になるかは別として)聴く人に生まれる。
その絶対的な領域において、「YOU,よかったネ!」みたいな 評価が出たなら、それはまさに自分の実力 (テクニックだけでなく、演奏スタイル、雰囲気、選曲など)が認められた証であり、 喜びもひとしおなのだ。
僕は、そっちを狙っている。
それに、ギタリストが他にいなければ、 演奏のクオリティに関わらず 自分の演奏の満足度(「効果」?)は高くなる。
需要供給曲線からすれば、
供給全体が少なくなれば、 価格・クオリティに関係なく、 均衡価格が高くなる(=効果が高くなる) みたいな感覚。
もし、供給が少ないところ、すなわち ミュージシャンが一人しかいない公園で、 ビートルズが好きな人を目の前に、 「Let it be」をシンプルにしっとり歌いあげたとき、 その演奏は、何らかの印象をもたらすはず。
それが、供給が多いところ、すなわち ビートルズコピーのミュージシャンの集まる 音楽イベントみたいなところなら、 同じ人が、同じように「Let it be」を歌いあげても、 その一人の印象というは、だいぶ小さくなってしまうだろう。
●終わりに
あくまでも、需要のある(ありそうな)歌を、 供給(ミュージシャン)の少ない所で歌う。
そうやって、ムリをせずに高い効果を上げる。
僕は経済学に関しては門外漢だけれども、 趣味のギター一つをとってもやっぱり 「市場」というものを強く意識している。