モノ減れば きっと社畜に ならず済む―生活は「負債」だらけ

「モノをもたなければ、働かなくて済む」

ウルグアイ大統領であるホセ・ムヒカの言葉だ。

モノがなければ、社畜にならずに済む。

一見関係がなさそうで、関係大アリなのだ。

(ここでは、勤め人全てではなく、

「今の会社でないと生活が成り立たない」と

強く思いこんでいる、精神×経済の依存状態

社畜」とする。)

それは、あらゆるモノが「負債である」

という事実と関係がある。


昨今、「ミニマリズム」とか「持たない暮らし」

といった言葉がキーワードになっている。

それがファッションかただのライフスタイルか、

 

モノを持たないことの気楽さは、

きっとスペースの問題だけにとどまらない。

「負債が減る」という大きな事実は見逃せない。

当たり前のことだが、

関連商品にも、キッチリお金がかかるのだ。

そして、その関連商品が消耗品なら、

「買い切った」と思ったものは立派な「負債」だ。


車はその代表だ。

月々のローンだけではなく、

支払いが終わった後でも

ガソリン・保険・車検・オイル・駐車場など

関連商品には驚くほどお金がかかる。

あぁ、あとスタッドレスタイヤは以外と

(メーカー曰く)寿命が短いようで。

でも、前に述べた通り、

車は「負債」の代表だから、

みんなその意識を持っている。

問題は、一見「買い切った」と思ったもの、

あまり消耗品とは見なされないものだ。

僕たちは思いの外、「負債」を抱えている。

例えば、掃除機を持つにしても、

パックが詰まったらそれを買い換えなければならない。

・・・これはあまり説得力がないか。

悔しいことに、僕のギターも負債だ。

使えば使うほどに弦が劣化する。

ただ、気持ちよく奏でるには

新しい弦を張らなければならない。

気に入った服も、どんどん買えば

収納場所やケースが必要になる。

食器もそうだ。

「モノがたくさんあるから、

それらを収納・配置できるだけのスペースを備えた

広い部屋に、たとえ家賃が高くても住まなければならない」

というケースも、ある種の負債を抱えていることになる。

パソコンも、有料のウイルス対策ソフトを

契約していれば、契約更新のたびに、お金がかかる。

 

それほど頻繁には着ないコートも、

シーズンごとにクリーニングに出さなければならないなら、

それも立派な負債。

自宅で手入れできない服も同様。

ただ、当然のことながら

すべての「負債」が僕たちを不幸せにはしないし、

むしろ、幸福感をもたらしてくれるものもある。

(そもそも、裏を返せば

あらゆるものが「負債」だからこそ、

関連商品の安定した需要が見込める産業は

存続しているのだ。)

誰でも知っての通り、要はバランスなのだが、

あれも、これも、負債であり、

思いの外、負債を抱えていると分かれば、

どの負債は、自分にとってさほど重要でないか

という判断に気持ちを向かわせてくれるはず。

そして浮き彫りになった「さほど重要でないもの」

をカットするのは、「さほど重要でない」と

わかった限りは、全く難しいことではない。

「負債」が減った清々しさは、喜びにすらなる。