そのとき大事なものは人それぞれ ー『仏教の「無価値」論』ー
家族も大事、友達も大事。 ちょっと面倒な付き合いも、 あとあと身を助けるかもしれないから、大事。
栄養バランスは大事、食事は大事、食文化も大事。
健康作りは大事、睡眠も大事。
勉強は大事、謙虚でいることは大事。 人生の先輩の言うことは素直に受け入れることが大事。
「せっかくこれまで○○してきたのにもったいない」。
世の中に溢れる「~することは大事」ということを 本当にすべて大事にしていたら、 自分のことがそっちのけになって、身動きがとれなくなる。
あるときは家族よりも友達といた方が楽しいかもしれない。
あるときは健康そっちのけで自分の食べたいもの、飲みたいものを 飲み食いした方が幸せかもしれない。
あるときは寝る暇も惜しんで、何かに没頭したいかもしれない。
自分にとって価値のあることは その時々によって次々変わる。
「○○は大事だよ」と、こっちが頼んでもいないのに 諭してくる人たちは、(こっちが必要としているときは別) 結局言うことを聞かせたいのであって、 言うことを聞いてくれたら得をするのは彼ら。
(僕は仏教徒、という訳ではないけれど、) 仏教には「無価値論」という考え方があるらしく、 それによると、
あらゆる物事そのものには価値なんかなくて、 人がそれぞれ価値を「入れる」ことで生活している。
ということらしい。その考えは納得だ。
人に価値観、というものがある限り、 人それぞれにとって価値のあるもの、ないものがあって、 さらに自分の時間やお金、体にも限りがある。
あるものに価値を入れるということは、 他の何かに価値を入れられなくなる、ということでもある。
だからこそ、普段から闇雲に価値を入れなくて済むように、 価値を入れなくて済むものを見極めて、こまめに「オフ」にする。
また価値を入れたくなったら、「オン」にすればいい。
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