高等教育に1,000万円も必要か

退職に伴い、財形貯蓄口座を解約してしまったので 「新たに貯蓄用の口座でも」と思って銀行に行った。

「ライフイベントとお金」について紹介されたとき、 「お子さまの教育費(大学四年間合計)」として、その額なんと 1,000万円/人で計上されているではないか!

もちろん、「私立大学で下宿」という条件つきではあるけれども。

こういう主張をする人は既にたくさんいると思うけれども、 大学にそんなにお金をかける必要はもうない。


僕が高校生の時を思い出した。

当時進学校に通っていたから、 「大学に行くのは当たり」前という雰囲気だったけれども、時々

「特に、研究として取り組みたい学問があるわけでもないのに、 大学へ行ってもいいものか」

という一抹の疑問を覚えたことがある。

それも、後にある先生から

「英語が得意なら、英語のレベルが一番高そうな大学に行けばいい」

と言われ、

その言葉に救われた(?)ようにその疑問はかき消されて

「あの大学に入る」という「目的」のためにひたすら勉強してきた のだけれども、その時の疑問はあながち間違いでもなかった。

ただし、僕らの親世代は「大卒」と「『良い』就職先」というのを 結びつけて考えているから、「とりあえず」でも大学へ行っとけ、 と思っているだろうし、

一番残念だったのは、高校生の僕はまだ 自分の疑問から来る主張を通せるほどの自信もなかった。


でも、大学に行って身に付いたこともある。 それは親元から離れて、生活面で自立する能力だ。

「自分で考えて、好きなようにやっていい」というのが、

学校では教わらないけれども「本来の教育の終着点=自立」

に繋がるならば、それこそ「大学生でいる」ということの「キモ」だ。

ということは、親の「支配」から解放して、

「好きなようにやっていい(その代わり、その結果は自分で負え)」

ということを高校時代から家庭「教育」としてやっていれば 大学へいく必要なんてないのだ。

もちろん、研究機関として大学を「手段」として使う学生を除いて。

それか、もしくは・・・ いや、これもどこかで聞いたような話だけれども、

「高校を卒業しても大学費用は全部払えないけれど、 ここに用意した200万円で好きなようにやっていい」

と、ポンと渡した方が、自分で考える力への投資としては 1,000万円に比べれば安価だし効果がありそう。

追記: この主張をもって「文系学部を潰せ」という つもりはありませんが、

高校卒業後から経済的・生活的自立をするまでの ギャップ・イヤーズ(その間の数年間)で (必ずしも大学へ行かなくとも)

自分で考えて、自分の好きなようにさせる

というのが最強の「高等教育」だと思うんですよ。