アウトサイダーとしてのエリート意識 について

   『そして、暮らしは共同体になる』という本がセールになっていたので読んだ。新品で読んだのと、Kindleで読んだのに続いて3回目だ。その中に「丁寧なくらし」を志向するマインドに潜む「順応を拒否し、社会の外部にいて社会に適合しない」という立ち位置としての「反逆クール」的アウトサイダー意識が取り上げられていた。そこには

 

(もし、その立場を取り続けるならば)「一般大衆とは群れの一部であり、組織の歯車、愚かな順応の犠牲者である。浅はかな物質主義の価値観に支配され、中身のない空虚な人生を送っている」「自分は体制に騙されたりしない」「愚かな歯車ではない」という哲学・ストーリーの中に自らを、他者を、置き続けなければならない

 

的なことが書いてあった。アウトサイダーを気取るためにはいつまでも「あいつは騙されている」という設定でいなければならない。

 

  実のところ、大衆は「騙されている」というよりは、大衆が大衆であるが故に、効率の良い大きなシステムに取り込まれた結果、個としてリスペクトされる部分が結果的にオミットされる、というのが本当のところだと思う。