金額×価値を込める人=その人の中での価値

金額に対して最後に価値を込める人が、

その物事の価値を決める―

そんなことをふと思ったのだ。


ブラックジャックによろしく』という

有名な漫画があることは今更言うまでもない。

その電子書籍が完全版でジュース一本程度の

セール価格だった(!)ので、

買ってみることにした。

その中のワンシーンにこんなのがあった。


医者って一体なんなんだ・・・・・・?

研修医の主人公が夜勤バイトをしていた病院では

なんと交通事故の救急患者「のみ」を受け入れていた。

交通事故の方がよっぽどお金をとれるから。

そのことで院長に意義を唱えた主人公に対し、

院長の言葉。

「人の命を救うんだ・・・金をふんだくって何が悪い?」

結局、手術で助かった男性患者の母親が

「無事だったのね・・・!」と嬉し涙を流したところで

この章は締めくくられている。

その様子を見た主人公はこう思うのだ。

医者って一体、なんなんだ・・・・・・?


僕の経験談に話を移す。

(命と比べればスケールは遥かに小さいのだが、)

僕がかつてアルバイトをしていた飲食店で、

普段600円で出しているワインを

セール価格の400円で出したことがあった。

(そのとき一番安い飲み物が400円だった)

すると、お客さんの反応はどうだったか?

なんと、600円で出していた時よりも

「あんまり美味しくない

(まぁ、安いしこんなもんだろう)」

という感想が目立ったのだ。

ちなみに、600円に戻したところ、

「リーズナブルでなかなか美味しいね!」

という評価が多くなったのだ。

平均的な満足度は明らかに後者の方が大きかった。

(もちろん、もともと600円だと知っているリピーターは除く)

店長としては、

日頃の感謝の気持ちを込めて、とか

もっと気軽に飲んでもらいたい、とか

(もちろん単価を上げたいという気持ちもあっただろうが、)

「そういう気持ちや努力は一体なんだったのだろう」

半ばあっけにとられてしまった出来事だった。


結局、物事に対して

「これくらいの価値を見出したから、これくらい払った」

という事実が、本人にとっては大事なことであり、

金額があくまでもそれを可視化したものにすぎない

みたいなことを思ったのだ。

とくに、人の命やワインは

そのものに対して明確な価値がつきにくい。

「誰にとって」という部分が大きいからだ。

ただそこには、

「金額で表された価値を込める人」の存在がある。

相場とは関係なしに、

その人が、自分の中で感じた価値を込めて、

お金を払うのであれば、「安いこと」よりも

よっぽど幸せな「買い物」ができるのかもしれない。