どんな価値観もエゴに基づくものだが、どんな価値観も、等しく存在を許されている

「世の中には、 自分の価値観が絶対的なものだと信じて疑わず、 そこに存在するエゴを自覚しないものがいる」 「自分の価値観も、自分のエゴに基づくものだが、 どんな価値観も、ただ、その存在を許されている。」 「エゴだからと言って、価値観を変える必要はない。 ただ、エゴの自覚に伴う痛みを、忘れるな」

ドラマ『鈴木先生』の一幕だ。

山際という男子生徒は、自分がパートナー選びの基準として

「処女であるかどうか」を気にしてしまった自分を恥じた。

しかし、教師の鈴木はこう言う。

「一見高潔と見なされる『内面を重視する』考えにも、

自分可愛さから生じる『優しくされたい』という打算がある。

内面重視も立派なエゴに基づく価値観だ」

「だから、お前がパートナーの処女性を気にするのも、

それと同様にエゴに基づくものだ。だが、

どの価値観も何かしらのエゴに基づいていて、

どれが正しい・間違っているでは語れないが、

どれも同じようにその存在を、ただ許されている。

お前は自分の価値観を変える必要はない。

だが、エゴの自覚に伴う痛みを、忘れるな」と。

ドラマからは

「なぜ、『痛みを忘れてはいけない』のか」

その明確な理由を汲むことができなかったが、

おそらく、

その痛みは、

自分が自分のエゴに基づく価値観から

「正義」を振りかざした時に、

誰かが感じる事になる痛みであり、

それが、闇雲に正義を振りかざすことへの

抑止力になるからではないだろうか。

それでもなお、

自分の正義を主張し、

戦わなければならない時もあるだろう。

ただ、闇雲に振りかざすな。

そんなメッセージを、僕は感じたのだ。