心の声を聞く ―自分の経験に基づいて考え、行動すること―

先日「部活辞める?辞めない?問題」というタイトルで、 「自分の経験に基づいて、自分で考えたことは何だってその人にとって正解になる」という旨の記事を書いた。 「部活辞める?辞めない?」問題

すると、こんな質問が寄せられた。

ひねくれた考えかもしれないですが、この理論(「自分の経験に基づいて自分で考えたことは、何だってその人の正解になる」)でいくと、 「自分が納得していないのに、他の人の言う通りにやっ」て、 「あとでそれが間違いだと思ってしまった時」でさえも、ある意味それもひとつの"正解"に成りうるのではないでしょうか? つまり自分の意志というより、他人の意志にしたがって嫌々ながらでも続けて、恨みが募ったとしても、結局その選択肢すらも、結果的には自分が"選んだ"道であることには変わりなく、無意識的に"考えた(≒その時点でのベストの道として選んだ)"ことになり、それも"正解"に成りうるのではないでしょうか。 とてもポジティブに考えれば、そのような悩んだ、恨んだ時期でさえも、後から見返したときに、今の自分を構成する"経験"の1要素になっているかもしれません。 すいません、別にだからといって、"辞めない"ことを強制するつもりは全くない(実際自分自身も脱走しましたし・・)のですが、少し引っ掛かったので、投稿させていただきました、、

それに対する僕の回答は、「YES」だ。 「ポジティブに考えれば、悩んだり、恨んだ時期さえ今の自分を構成する"経験"の一つ」という考えにも賛成!

そもそも人生に「たら」「れば」はないので、冒頭の理屈に当てはめると究極的には その人のやったことはすべて正解になるのだ。

ただ、ここで「正解」というのを2つに分解したい。 一つは、「受動的な後付けの正解」で、もう一つは「能動的にそのとき思う正解」である。

僕が前の記事で強調したかった「正解」は後者の方。 そのとき自分が自分の経験に基づいて能動的に考えた「正解」を選ぶ、という回路をオンにしてやることで、 自分の人生を自分でデザインしようという主体性が生まれる。 そしてそういった主体性(当事者意識)から生まれるエネルギーって、 (あとから正解だと思ったとしても)嫌なことを受動的にやってるときのエネルギーに比べて、 圧倒的に大きいですよね。

大きなエネルギーを、持っているその瞬間そのタイミングで、発揮しよう、 そのとき、必ずしも一つの組織に留まる必要はない、という提案。 そのとき自分が自分の経験に基づいて、能動的に「こうしたい!(orこれはやりたくない!)」 と思ってしまったら、その通りやってみよう、ということ。心の声を聞く。