やった!時が止まった!

正社員として働くのを辞めたとき、

「時を止めることができた」

という感覚に非常に安心したのを覚えている。


その対極にある

自分の意思とは関係なしに「時が流れていく」とはこうだ。

学生時代なら、自分はなにもしなくとも、

よっぽど成績が悪くない限り進級するし、

部活動での立場もどんどん昇って「しまう」。

(本来なら、部活ごときに上も下もへったくれもない)

当然、卒業のまでリミットもどんどん近づく。

卒業後、会社に入ってからというものの、

もう既に自分も20代半ばだし、

結婚、住まい、老後、その他将来のことを

考えなければならない、とか、

自分も遅くとも10年以内には

何かしらの役職につくのか、とか、

特に何もしてなくても二年目に給料が上がった!

すげー!とか、

そういうことをぼんやり考えていた。

そのくせ同じような日々だから、

悪い意味で時間はあっという間に過ぎていく。

「え!!もう6月なの!?」みたいなね。

そんなことを考えていた新卒入社の会社生活を、

僕は今年の8月に、辞めた。

「辞めたい、でも辞めるきっかけがない」

みたいな状況は実は半年以上にも及んだ。

で、辞めた。

その瞬間、自分の意思と関係なしに

「上へ、上へ、」と運ばれるエスカレーター

(というよりはコンベヤー)から降りた!

という感覚が、僕を安心させてくれた。

「時を止めた!」

という感覚を例えるならそれだ!


エスカレーターから「降りる」宣言をしたことで、

エスカレーター」の人たちが、

上に上っていくのをみて

「ほー、すごいね!」

と素直に言えるような気がするし、それでも、

「自分は、自分の階段を上っていく」

ということに注力するよりほかないのであって、

誰かと比較してもしょうがないし、

そもそも誰かと比較している暇がないのである。

一般的に見れば、

僕の生活はひび割れ・欠けだらけで、

誰かに羨んでもらおうにもムリがある。


いま、目の前にあるのは階段だ。

自分が動かなければ上れないけれども、

自分が動きたくなければ上らなくていい。

だから、もし上ることを楽しみたければ、

上る術を身に付けなければならない。

それは厳しいようで、(たぶんほんとに厳しい)

それでも「自分のこと」だから、

きちんと向き合うことができる。

厳しいんだろうけれども、

それでも「自分のこと」だから、

そのプロセスもひとつひとつ、楽しむことができる。