「自分の時間」をムダ売りしないことにこそ、執着せよ

「自分の時間をムダ売りしないこと」にこそ、 僕は執着する。

「おカネを使わないことに執着してるんじゃないの?」 そんなことを友人に聞かれることがある。

おそらく僕がしきりに節約ネタをブログに投稿しているからだろう。

もし僕が本当におカネを使わないことに“のみ”こだわったならば、

そもそもまず、ゲストを諏訪に呼ばない。 「非日常」を過ごせば、どうやってもおカネがかかるから。

それに、ゲストが泊まれる環境を整えることもなければ、 自分のベッドや寝具に6万近く投入しない。 7万円のギターも買わない。

今日の記事で改めて主張したい。

僕は、 「ムダ遣いのためのおカネを稼ぐために、 自分の時間をムダ売りしないこと」 にこそ、執着しているのです。

「自分の時間」については過去の記事を参照。 僕は「自分の時間が欲しかったから」会社を辞めた


僕らは、平気でムダ遣いしている

僕たちは、「生活する」ということにフォーカスすれば、 勝手に自己暗示をかけながら平気でムダ遣いしている。

節約を説く僕ですら、 最近「長距離ドライブの気付け薬に」と言って コンビニで100円“も”するコーヒーを買ってしまった。

「他と比べて安いから」と言って 100円で5本入っているニンジンを買ってしまったのも、 その使い道がはっきりしていなくて 後にあわてて消費したから、立派なムダ遣い。 大きいニンジンを50円で1本買った方がよかった。

一般的な例で言うと、 「夏祭りと言えば屋台だよね!」とか言って “お祭り価格”の500円もする焼きそばを買ってしまうとか。

「せっかく旅行に来たから」と言って、 ただただその地の名前の入った どこでも食べられそうなお土産菓子を買うとか。

「普段はなかなか集まれないメンバーだから」と言って、 大して乗り気でもない同窓飲み会に行くとか。

「ちょっとだけおカネをかけて楽しもうよ」とか (↑その「ちょっと」はちょっとじゃねぇ!!) 「滅多にないチャンス」とか、 その類の自己暗示をかけながら、僕たちは平気でムダ遣いしている。 いつしか、それがスタンダードになっている。

(ムダ遣いのスタンダードがあるからこそ、 儲かっている会社もある。)


僕らは、そのために自分の時間をムダ売りしている

いや、持っているおカネを遣うのは 人それぞれ勝手だから一向に構わないんだけど、

(そのおかげでおカネが回っているところもあるから)

それと表裏一体になっている「自分の時間を売る」 という現実を考えてみよう。

もしも、今現在この瞬間に、 おカネを自分のポケットに入れてくれる「資産」 というやつを持っていない限り、おカネを稼ぐためには 二度と戻らない「自分の時間」を売る必要がある。

「少額だし」とか、「せっかくだから」とか、 そういうフレーズで、特に欲しいとも思っていない 自分をダマしながらムダ遣いをするということは、 「自分の時間」をムダ売りしているのと一緒だ!

自分から金品...よりも貴い自分の時間を騙し取る・・・ 「自己詐欺」じゃないか?

それでいて、「会社行きたくない」とか、 「仕事嫌だ」と言っているのは、 ちゃんちゃらおかしな話である。

(「いつかのための貯金」の額も含めて) その額がいくらであれ、月収とトントン暮らしをして、 その収入での生活を甘受している限り、

一生「嫌だ」と口にしているその生活からは抜けられないし、 「(でもぶっちゃけ、そこから脱出するつもりはないんだけどね♥)」 という心の声を露呈しているようなものだ。


終わりに

おカネをムダ遣いするってことは、 自分の時間をムダ売りしているのと同じ。

僕は、おカネを使わないことに執着しているんじゃなくて、 「ムダ遣いのためのおカネを稼ぐために、 自分の時間をムダ売りしないこと」にこそ、 執着しているのです。

「これは、別に必要ないよね?」 「ぶっちゃけ、気乗りしてないでしょ?」

などから始まる自問自答を繰り返し、 自分を満足させるラインをとことん下げ、 「自分は自分」と明確化し、 それでも必要!と思ったところでおカネを使えるように、ネ!

ということは・・・

(冒頭の話を聞いて誤解されてもいけないので)

それでも僕が頻繁にゲストを招いているのは、僕が ゲストを招いていつもと違う数日を楽しんでもらうことで、 ちょっとでもいいことができたらな、と 本当に思っているからなのです。