組織に「人殺し」をさせないために、僕らは「はたらく」。

組織文化のせいで人がどんどん辞めていくのに

「続く人」とか「続かない人」というのがいる

と思っているのは非常に残念なことである。

そういう組織に限って「続く人」のムリによって成り立っているから

「自分はこんなにムリしているのに」という空気が蔓延し、

「お前もちょっとはムリしてやれよ」「これくらい当たり前だろ」

というのが常識になっている。

どんどん人が辞めていくと結局人手不足で困るのは自分達なのにネェ これに加えて、大事なことがある。

「どんなにギスギスした組織においても、一人一人はいい人だ」

ということだ。

振り返ればこれまでの25年間、僕はいろいろなコミュニティに

属してきた。もちろん、どこにいてもソリが合わなかったり、

なんとなく「この人は嫌だなぁ」と思ったりした人はいる。

でも僕はそういう人たちでさえ僕に対して

親切にしてくれた瞬間が、カケラ程度でも、あることを覚えている。

いろいろなことを引き受けて「自分はこんなにも頑張っているのに」

という人たち(=ツイートで言う「続く人」たち)は、間違いなく

自己犠牲の精神に基づく責任感

のようなものを持っている人で、一個人としては

いわゆるまじめで、優しい人たちに違いないのだ。

一番の厄介なのは、それが「集団悪」として一人一人にのしかかること。

「お前もムリしてやれよ」「これくらい、当たり前だろ」

というのは、集団になったときにスッと現れる。

パワハラ・セクハラ等の張本人は特定できようとも、

「集団としての悪」はその像を特定できないからますます厄介。


結局、「集団悪」を構成している一人一人を分解してみると

そこに浮かび上がるのは、自分の「ムリ」を拒否できない

個人として「嫌われる勇気」を持たざる者の姿だ。

まごうことなき、彼らは弱くて脆い存在なのだ。

ならば、僕たちができることは、

「たとえあなたが今のようなムリに頼った働きをしなくとも、

僕はあなたがスゲー優しい人であることを知っているし、

自分にムチ打って頑張る姿がいとおしいとさえ思う」

というメッセージを、一方的にでも、送り続けることで

彼らの精神を「嫌われないようにムリをする」ことから解放してやること

それから、

自分が決してムリをしない範囲で、物理的に(労働力的に)

彼らを楽にできるように協力すること

それこそ、僕らにできることすなわち

「傍(ハタ)を楽(ラク)にする=働く」

ということではないだろうか。


「客のために労働する」というのはもはや昭和の考え。

現代社会で僕らが助けてやらなければならないのは、むしろ同僚であり、

厳しい労働によって、経済を「離陸」させ、

「急上昇」させてきた立役者たちと、その影響でボロボロになりかけている

身の回りの人=傍(ハタ)をちょっとでも楽(ラク)にしてやる、

(ただし、絶対に自分のムリのない範囲で)

それが、「水平飛行」に入った今の時代

「労働」とは似て非なる現代における「働く」

ということの意味付けになってくる。