それでも、あなたがやることに意味がある

もしも、「パーフェクト母さん」というのがいて

(昭和~平成初期的な考えで、恐れ入るが)

ちょっとお金を払えば家事を全部やってくれるとしよう。

一方、ときどき学校に持っていくお弁当を作るのを忘れてて

「これでお昼買って!」とお金だけ渡されたり、

ときどき子供みたいなきっかけでケンカをしたり、

過干渉で鬱陶しいと思ったりする、本物の母さんもいるだろう。

それでも、母さんは母さんで、「パーフェクト母さん」に

代わりになってもらおう、とは思わないんじゃないだろうか。


世の中全体を見渡せば、

何かひとつのことをとりあげたときに

自分より「できる人」というのはたくさんいるし、

便利なサービスは溢れている。ときどき、打ちひしがれそうになる。

若い人たちが目指す「自分の名前で」やることに意味があることとは

実は、ハイパー・ローカルなことでもある。

キムタクはファンを幸せにできるかもしれないけれど

あなたの父親の代わりにはならないし、

乃木坂46の白石麻衣は確かにスラリとして美しいけれども、

あなたの目の前の食いしん坊な恋人の代わりにはならない。

便利さと価格競争によって姿を消しつつある個人商店も、

「そこの店主と話をする」という時間の楽しみを考えれば、

決して世の中全体に必要なものとは言えないけれども

それも立派な「その店主の名前(あるいは屋号)でやること」だったのだ。

他の誰でもなく、「自分でしかできないこと」は、

実は自分の身近な人を助けてやることでもある。

(少なくとも、本意なかたちで)

有名になるかどうか、もしくは広い世の中の役に立つ可能性は その延長にこそあると思っている。


(ですから、世の中にはたくさん優れたブロガーがいますが、

皆さんの知っている平凡なワタシが、あえて実名で、

自分の考えをつらつらと述べることには、

有名ブロガーが言うのとではまた違ったインプレッションがあると

思っているのです。 そこから得られる小さな手応えを糧に、

ライフワークたりうるのです。収入はゼロだけどね★)