「役に立つ」を疑う

   本当は新型コロナウイルスの感染拡大そのものが災いだったはずなのに、いつの間にか変化していたステージの上で、「社会的に役に立つ人間」「役に立たない人間」がふるいにかけられようとしているー自分が「役に立つ人間」の側でいるためなら、他人を平気でステージから蹴落としたり、新しいステージに「適応」できない/しようとしない他者に何らかのレッテルを貼り差別心をあらわにしたりするー人間の間での災が「感染・拡大」していく傾向が容易に予想できる。差別や排除・迫害といった二次災害の「感染・拡大」を防止するために、僕たちはいま一度「役に立つ」を疑った方が良い。

   「無用の用」という言葉の示す通り、一見無用だとされているものが実は大事な役割を担っていることがある。

   直ちに役に立たないものとしての「余裕」がどんなメリットをもたらすかについてあまりに有名な逸話がある。アメリカ・ミズーリ州の救急病院・セント・ジョンズ医療センターの逸話だ。セント・ジョンズ医療センターでは手術室をひとつ開けておくことで、元々の手術スケジュールが影響を受けなくなったというのだ。

ミズーリ州にある救急病院、セント・ジョンズ地域医療センターは、手術室の問題を抱えていた。三二の手術室で年間三万件あまりの外科手術が行われていて、その予定を組むのが難しくなっている。手術室はつねに予約でいっぱいなのだ。二〇〇二年、この病院の手術室はフル回転だった。そのため急患が出ると‐そして急患は全仕事量の二〇パーセントを占めるのが通例だ‐病院はずっと前から予定していた手術を動かさざるをえない。「その結果、病院スタッフは午前二時に手術を行い、医師は二時間の手術をするために数時間待つこともしばしばで、スタッフはしょっちゅう予定外の残業をしている」

(中略)

ひとつの手術室を緊急手術専用にすると、病院が受け入れられる手術は5.1パーセント増えた。午後三時以降に行われる手術の件数は45パーセント減少し、収入は増えた。試行期間わずか1カ月で、病院はこの変更を正式採用している。それから2年間、病院の手術件数は毎年7~10パーセント増加した。

 

「いつも『時間』がないあなたに‐欠乏の行動経済学‐」 センディル・ムッライナタン&エルダー・シャフィール(著)、太田直子(訳)

ハヤカワノンフィクション文庫より引用

   それまで手術室はフル稼働だったのを、緊急専用として手術室をひとつ空けておくことで、元々の手術スケジュールが緊急手術の影響を受けなくなったばかりでなく、トータルで受けられる手術が増えた、というのだ。

   最近テレビシリーズが始まり、再び話題になっている「レンタルなんもしない人」のエピソードを見たり読んだりするにつけて「特に、役に立っているように見えないこと」を必要としている人がいることに気づかされる。「レンタルなんもしない人」の仕事内容は「ただそばにいるだけ」。「仕事でしくじってしまって翌朝出社するのが怖いので、一緒に来て欲しい」とか「今日で東京生活を終えて、地元に戻るので、東京最後の日を一緒に過ごして欲しい」とか「ひとりで焼肉食べ放題に行くのは寂しいが、友達と一緒にいると喋っている時間がもったいない」など、「特に何かをして欲しい訳でもなく、ただ誰かにそばにいてほしい」人々のニーズが浮かび上がってくる。「レンタルなんもしない人」本人が「簡単な受け答え以外できかねます」と宣言していながら、沢山の依頼が入る。「役に立たないこと」が必ずしも本当に役に立たないとは限らないことを思い知る。

   働きアリの法則も有名だ。働かないアリがいることで、コロニーが存続する。働かないアリ(余裕)は他のアリが働けなくなった時の「予備」であり、その「予備」がないと一斉に疲労で動けなくなってコロニーが滅びるのが早いという研究結果が発表されている。

   直ちに役に立たない余裕を持っておくことのメリットを外から持ってくれば上に述べた通りだ。しかし僕が心の底から主張したいのは「役に立っている自分をディスプレイすることに躍起になる」ことの弊害だ。

「自分が役に立っている」という思い込みを強めれば強めるほど、他人に寛容でなくなるし

ガンバッて、役に立っている(ように見せる)ことが目的になってしまう。

   コロナ禍を通じて多くの人が「社会的に直ちに役に立つことが難しい」状況をとくと味わっていることだと思う。コロナ禍は早く過ぎ去って欲しい。しかし、コロナ禍を通じて「社会的に役に立つ」を煮詰める方向ではなく、「社会的に役に立つ」にまつわる従来の考え方を改める方向を向いていける社会になればと思う。