一年の重み

1年や2年で退職する人を

「早期退職者」という人がいるのだけれども、

僕にはその1年や2年を「早い」とは全く思えないのだ。


もうすぐ2016年が終わる。

ここに来て僕は改めて「一年の重み」を感じている。

2015年も、会社員になった、とか、

住環境が変わったとか、生活スタイルが変わった、とか

年単位で見れば十分変化の年だったが、

2016年はそれ以上に様々な変化の年だったからだ。

特に、新卒で入った会社を退職してからは

まさに月単位で変化していった。

心の持ちように関して言えば、

それこそ週単位で様々な変化が訪れた。

そんなことを繰り返した一年だったから、

僕にはこの一年を「あっという間だった」などと

軽々しく口にすることはできないのである。


大学時代を思い出せ。

時間の使い方の主導権があった大学時代。

卒業報告とともに「あっという間の4年間でした!」

と遊んだ記録を見せびらかしている人がいるが、

自分であれこれ考えて悩んだ経験がある人こそ、

(そして、自分の主導権で試行錯誤を繰り返した人間こそ)

トータルでは「(人間的な欲求から根源的に)楽しかった」ことも

むしろ「濃密だった」という意味で「あっという間」とは

思っていないはず。

「大学生」という肩書きに変わりはなくとも

1年や2年違えば、やっていること、

問題意識を持っていることは全く違うはず。


「なぜ若者は三年で辞めるのか?」

という本が出て久しい。もう10年も前のタイトルだ。

「ちょっとじゃ何も身につかないのにね」

という人もいるだろう。

マニュアル自動車の運転だって

2週間ちょっともあればゼロからできるようになるところ、

1年?3ヵ月?いや、3週間で「作業仕事」が

一人前にできるようにならなかったら

それは何が原因だと思う?

それを「部下が“デキナイ”やつだから悪い」と思った上司

「自分が悪い」と思った新人は

もうちょっと冷静になった方がいい。

今話題に挙がっている「過労自殺」について

 

一つの例として実証されていることを書くならば、

3ヵ月もあれば人は十分にぶっ壊れうる

ということだ。