「共同生活の本質」と「コミュニティのパラドックス」のはなし
本来、「共同生活」とか 「つながり」とかいうものは
「する」というような能動的なものではなく 場所を一緒にしたからという理由のみで 「なる」という受動的なもので、
「持っているリソースを分け合えばよい」 という、ある単一の合理的観点から それをシステム化してしまえば、
「リソースを持っていないものは、仲間に入れない」
という性質を帯びてしまう。
共同体にとって「望ましい」リソースを持たず、 「何かを生み出すわけでも、 何かの役に立つわけでもない」存在を 措定してどうやっていくか、 という問いを立てて実践してはじめて、
真の意味での 「共同生活」とか「つながり」に近づく ことができる
というのが今回のテーマだ。
続きを読む「群れてはいけない」属性と「カルト」と「暴力」のはなし
ゲームに出てくる悪役には
・子供の頃から引きずっているコンプレックスをもとに ・ふとした瞬間に手にしてしまった強大な力を使って ・自分の理想の「善」の世界を目指す中で ・それが行き過ぎて、「悪」になる
というものが珍しくない(と誰かが言ってた)。
そんなところから始めよう。
思うに 世の中には「群れちゃいけない」属性の人がいる。
それがどんな人かと一言で表すと、逆説的ながら
「つながり」とかいうワードを頻繁に持ち出す人々だ。
続きを読む「車を運転すること」から僕が勝手に感じていること のはなし
最近読んだ本に 『ごめんなさい、もしあなたがちょっとでも 行き詰まりを感じているならば、不便を 取り入れてみてはどうですか〜不便益という発想〜』
というものがある。タイトルが長いけれども、 しばしばそこに書いてあることが思い出される、良本だ。
そこで取り上げられている「不便益」という概念について、 僕は「車を運転すること」は確かにそれに当てはまると思っている。
続きを読む「コミュニケーションと調和の課題」のはなし
「その時の自分の至らなさ」 「もっとああしていれば、上手くやれたかもな」
という冷静な感覚は、 その時自分の決心でもって 何かと別れたり、離れたりしたその時を起点にしたとき 常にディレイを伴って心に浮かぶ。
続きを読む