たたかう ということ

 「あなた、相当たたかってしまっているのね」と言われる。「たたかうことは、よくないこと」というニュアンスもある。「たたかうから、疲れるのよ(だったら、たたかうことをやめてしまいなさい)」と言われて、「たたかうことをやめた方がいいのかな」と思う。それでも違和感は残ったままだし、「たたかわないようにしよう」と思えば思うほど、たたかう対象のことが意識されるーーそんな話を聞かせてもらった。

 たたかうというのはたぶん免疫反応みたいなもので、普段、たたかうことで自分を守っている。ただ、その免疫が過剰反応するとかえって自分に悪影響(アレルギー反応)を及ぼしてしまう、という感じなんだと思う。確かに、過剰反応まで起こすと疲れる。しかしそういうことがあることを知りながら、それでもなぜたたかうかというと(たとえ現状を変えるのが難しくとも)そこに受け入れ難い何かがあるからだろう。そして、その「受け入れがたい何か」とは往々にして「目に見えない(無意識の)差別・偏見」だったりする。アダルティズム(年齢に基づく若者への差別・偏見)、ミソジニー(女性蔑視)、ルッキズム(外見に基づく差別・偏見)さらには学歴主義、雇用形態の違い…なんとなく社会を形作っていて「そういうものだ」「それを乗り越えて頑張るものだ」と考えられがちな価値観のなかには、こうした差別が少なからず含まれている(そしてその差別を「タフ」になって耐え、やりおおせて年齢を重ねた人は、当然他の人もそうすべきだと考えるようになるのだろう)。

 なんとなく受け入れられて「そういうものだ」と思われている価値観の中の一部が差別に基づくものであるかかわらず、さらにその差別には「表面的には」合理性を帯びているものもあり、そうした差別を社会がヌルッと受け入れてしまっていることも少なくない。だから、たたかうこと、ひいてはたたかうことで無意識的な差別を対象化することそのものが良くないと私は考えない。そしてたたかうことは自分に悪影響を及ぼさない限りにおいてアリなんじゃないか。その範囲の中でやれるところまでやってみたらよくて、これ以上やれないと思ったらそこから世界の見方・どのようにして差別と向き合うかを、自分のコントロールにおいて改めればいい。ムーミンシリーズのキャラクター・リトルミイの名言にも、「それがあんたのわるいとこよ。たたかうってことをおぼえないうちは、あんたには自分の顔はもてません」って名言がある。