そこに集まるのはどんな人?「非正規」は単に働きかたのひとつとも言い切れない

「『非正規』は雇用形態・働き方のひとつだ」

当初はそんな風に思っていたけれども、

どうもそうとも言い切れない事情のようなもの

を感じてしまった。

(素直に感じたことを書いていきますが、

読む人によっては少々「傲慢だ」

と思われるかもしれない点を予めご了承ください。)


「正社員になれればいい」

と思うのは、言うまでもなく、当たり前だ。

福利厚生も手厚く、

月給制だから安定した生活が送れる。

社会的信用もある。ローンも組める。

「正社員『登用』制度あり」という言葉も、

正社員が非正規社員の言わば「上位版」的な

立場であることを暗示している。

「正社員になりたい」という

(一般的な)積極的な気持ちに対して

正規雇用というのは、どちらかと言えば、

消極的な選択肢である。

どこかで

就活市場で「選ばれざるもの」というような

意識に基づく自尊感情の低さ

のようなものがある。

(一方、就活市場で「選ばれしもの」

からくる誇らしげな人もいる。

が、就活市場で選ばれるかどうかは、

その人の人格そのものとは関係ない、

と断っておく。)

自尊感情の低い人は、誰かの言いなりになってしまう

ということばかりでない。

もし自尊感情が低ければ、

入社年次その他で上の立場に立ったとき、

自分が味わってきた大変さを、

わざわざ後輩・下の人に押し付けようとするだろうし、

後輩や下の立場の人を尊敬(ありのままに見る)できない。

他の人を認めることが、

すなわち自分の立場をなくすことだと恐れているからだ。

(本当はそんなことない)


でも、彼らは彼らで大変なのだ。

学生アルバイトや、主婦からのパート勤めはまだしも、

それで生計を立てなければならない、

となればそれこそ、休めば即減給だから

身を削って働くしかない。心身ともに余裕がない。 (そんな状況で、新人に「やりながら覚えていこう」

「やりやすいようにやってみて」

とは、言えないんだろう。

ただでさえ余裕がないところ、

他人のカバーにまで回る手間を考えれば、

「キッチリ言うことを聞いて、

その通りやってくれること」が

一番求められるクオリティなんだろう。)


そんな構造的なことを考えると、

「非正規」というのは「時間的な自由が利く」

という呑気なことを言っていられない

事情のようなものを垣間見ることができる。

しかし、僕の経験はあらゆる「非正規」のうちの

ほんのひとつであって、これが一般的・普遍的だ

ということはできない。

卒業と同時に退職したアルバイトで

「あそこならずっと働けたなぁ」

と思う人も、少なからずいると思う。

そういう居心地のよい「非正規」の現場もある。

ただ、「そこに集まってくる人はどんな人か」

というのは、ある程度考える余地がありそうだ。