人生設計なんて無くとも

目標があって、それに向かって本人が自分の意思で突き進むのはもちろん結構なこと。 ただ、学生の時点でこれだ!という人生の目標を持っている人の割合はそれほど多くないのではないだろうか。 それなのに、「人生設計があるのが良くて、ないのは悪い」みたいな考えに苛まれている人は多いはず。 特に就職活動をしている学生には。 しかし、明確な夢とか目標がないのは実はそんなに悪いことではないのではないだろうか?

アドラー心理学について書かれた本『嫌われる勇気』にこんな記述があった。

「人生とは、連続する刹那なのであって、 計画的な人生など、それが必要か不必要かという以前に、不可能なのです」

「われわれは『いま、ここ』にしか生きることができない」

「過去にどんなことがあったかなど、あなたの『いま、ここ』にはなんの関係もないし、 未来がどうであるかなど『いま、ここ』で考える問題ではない。 『いま、ここ』に強烈なスポットライトを当てよ。 いまできることを、真剣かつ丁寧にやることだ。

衝撃を受けた。

諸事情で二度の就職活動を経てきた僕は、ある一定の時期、いや今も含めて、 将来の計画を持つことが大事だと刷り込まれていたし、そう信じていた。

しかしよくよく考えてみれば、10年前の僕は、 24歳で長野県に移住して造り酒屋に勤めているなんて想像ができただろうか? いや、3年前の僕だって不可能だと思う。しかし、それまでの道のりはまさしく「刹那の連続」。

中学から高校まで英語を一生懸命勉強してきた僕がいた。 東京外国語大学に入ったくせに、ほとんどの時間をボート部の活動に費やしてきた僕がいた。 部活動と就職活動を同時にやりたくない僕がいて、やることを部活動にしぼった大学4年の僕がいた。 引退から卒業まで父の単身赴任先の横浜に居候し、近所のビストロ居酒屋でアルバイトをした僕がいた。 日本酒について強い関心を持って、サーブしながらいろいろ勉強した僕がいた。 そんな僕を拾ってくれた酒屋があった。

…ちょっとカッコつけて書いてみたが、 こんな風にその時々で頑張ったことが次につながってきた人も多いはず。 いや、ほとんどの人がそうであるはず。

こうして見ると、人生設計がないことは全く悪いことではない。むしろ大事なのは 「『いま、ここ』に強烈なスポットライトを当てて、いまできることを真剣かつ丁寧にやっていくこと」。 そういう考えを与えてくれた一冊。『嫌われる勇気』