生活する場所くらい、好きにさせてーや

会社を辞めてしまった、と言うと

「じゃあ、別のところへ引っ越しちゃうの?」

と聞かれることがしばしばある。 しかし、それは半分イエスで半分はノー。

僕はもうしばらく、 諏訪市内に住み続けるべく、 家賃が安い別のところへ引っ越したのだ。

なぜなら、僕はこの環境が好きで、 まだここにいたいと思ったから。


●住む場所くらい、好きにさせてほしい

「会社の都合で住む場所を変えられたくない」

僕が就職活動をしていたとき、 いつからかそんなことを考えていた。 僕が一般的なサラリーマン家庭にいて、 いわゆる転勤族だったことが大きな理由の一つ。

転勤が嫌ならば、 そもそも転勤のない会社というのもいいな、 というのも、前の勤め先に就職するにあたって 一つの魅力的なポイントだった。

(実家が建ってから大学進学までは 盛岡に残ることになったのだけれども。)

●家を建てると転勤になる、というジンクス

実家が建ったのは今から17年のこと。 しかし父はそれから間もなくして転勤が決まった。

(それから定年退職まで15年ほど単身赴任生活で、 家から離れて生活していた。)

ちょっと話は変わるけれども、 就職活動中にOB訪問を繰り返していた時のこと。

全国に拠点のある大手企業に勤めるOBから

「『家を建てると転勤になる』みたいなジンクスはあるよね」

みたいな話を何度か聞いた。

自分のところはまさしくそうだったのだけれども、 そう聞いて改めて浮かんだのは

「せっかく家を建てたのに、 建ててから自分はそこで暮らせないのかな? 共有する時間が少ないぶん、 家族の中でも残留組(?)で自分以外の 小さなコミュニティができちゃって、 自分はそこからちょっと『浮いた』存在になるのかな?」

という疑問だった。

●小4の僕は、泣いた

父が実家から離れて暮らすようになってから、 はじめのうちは頻繁に電話がかかってきた。

それ自体は嬉しかったけれど、それと同時に

「あ、お父さんはもうここにはいないんだ」

ということを実感してしまい、 当時小学校4年生だった僕は泣いた。


憲法でも定められていますし・・・

「居住の自由」というフレーズを思い出して調べてみたら、 憲法基本的人権22条1項にはこんな文言があった。

何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転及び職業選択の自由を有する。

もちろん、仕事の関係によって転居する場合は 国家にによってその自由が奪われているわけではないけれど、 「居住の自由」は守られるべき人権であり、

それが冒されるとしたら、 かなり大袈裟言えば人権問題なのだ。


●おわりに

僕はまだ自分の家庭というものを持っていないから、 自分の所有している家もなければ、 どこに行こうと寂しい思いをさせる子どももいない。

ただ、愛するもの(環境や人など・・・)を残して、 意に反して転居せざるを得ないのは不本意だ。

もちろん、諏訪にだっていつまでいるかは分からないけれど、 好きなところに、好きなだけ住む。 それくらいは自分で決めたいと思うし、

その条件のもとで、 生活する術を、お金・その他の面で つくっていきたいもの。

それが、目下の課題になりましょう。