センス・オブ・オーナーシップ

友人に勧められて読んだ本『プロフェッショナル原論』。 そこに書かれていたキーワードで強烈な印象を受けた言葉があった。 それは「センス・オブ・オーナーシップ(全権意識)」

センス・オブ・オーナーシップについて、その本にはこんな記述があった。

「『センス オブ オーナーシップ(sense of ownership)』とは、 一言で言うならば自分の仕事に対する全権意識である。 プロフェッショナルは自分の仕事に関しては全ての権限を持ち、 同時に全ての責任を負っている。 それゆえ、仕事において他人をアテにすることはできないし、 自らを厳しく律して最善の努力をし結果に対して全ての責任を負わなくてはならない。」

この「全権意識」、本書が示しているように 厳しいものであることは間違いない。 だがその一方でやりがいがあることも間違いない。

僕はいわゆるプロフェッショナルではないが、 この「センス・オブ・オーナーシップ」に近い感覚を持って 動いていた時期がある。それは、大学受験前のこと。 当時、ときに悩み落ち込みながらも、 非常にエキサイティングな時間を過ごしていたことを思い出した。

「受験に受かる」ことが自分の「仕事」だと考えると、 その時の自分は、受かるために何をしたらよいか、 高校を離れてはほぼ自分の裁量で決めることができた。 その時その時にあった最適な勉強方法を選ぶことができた。 自分の変わりに入試を受けてくれる人はいないから、 体調管理も、何をどれだけ勉強するかも、全て自分次第。 もちろん、出た結果も全て自分のこと。 だからこそ、必死になって勉強した。 それが合格という結果にあらわれたとき、 最大級の喜びを得ることができた。

自分のことだから、必死になる。 必死になるから、向上が望める。 向上するから、よりよい結果が出る。 よりよい結果が出るから、もっとやろうと思う。 よい結果が出なかったときは一層悔しい。 「何とかしないと」という強い思いに (良くも悪くも)駆られることもあるだろう。

その逆も然り。

誰かが指図し始めてその仕事の「オーナーシップ」が奪われたとき、 他人のことのように思えて、必死になれない。 必死になれないから、向上も望めない。 向上しないから、よい結果も望めない。 良い結果がでなければ、やる気が削がれる。 よい結果が出なくとも、その全てが自分のことじゃないから (良くも悪くも)「まぁ何とかなるだろう」と思うだろう。

人生をエキサイティングに生きるキーワード「センス・オブ・オーナーシップ」。