経歴は、役割の「本棚」

「それが、自分の役割だと思ったからです・・・!!」

相手の質問にかぶせるようにしてそう言い放った。

たぶん、鼻の穴は広がっていた。

緊張しまくっていたのに、

そこだけ、声が大きくなっていた。

某コーヒーチェーンでのアルバイト面接でのこと。

自己PRとしてこんなエピソードを語った。

「昔アルバイトで勤めていたお店で

日本酒に詳しいアルバイトがいなかったから、

例えそれで認めてくれるお客さんが少なかろうと、

ガツガツと、しかし楽しみながら日本酒の勉強をした。

それが高じて、酒蔵に就職した(今は辞めた)。」

それに対して、こう聞かれた。

「一人や二人のお客さんに対して

そこまでやるのって、大変じゃないですか。

そのモチベーションはどこから?」

そこで冒頭のことばが口を衝いて出た。

「(お、おぅ・・・)すごい目力ですね・・」

という反応を見て、あ、ダメだな、と思った。

こういう前のめりなヤツは、意識と理想だけは高く、

まったりな職場の和をすぐに乱す、すなわち、

「"使い"にくい」とみなされる傾向にあり、

その考えの存在も承知だ。

「お、おう・・・」が全てなのだ。

ただ、この記事ではちょっとだけ、

言い訳をさせてもらいたい。


僕は「それぞれのメンバーの役割」というものを

非常に強く意識する(ようになった、途中から)。

そして、そこに付随する

「センス・オブ・オーナーシップ」

(役割に対する全権意識)

を重視するから、

基本的に自分の役割に他者の立ち入りを許さないし、

他者の役割に、求められることなく立ち入らない、

という原則に従っている。

もし、自分の役割に他者が立ち入る余地があるならば、

もうそれはその人の役割だ。

決して争うことはしない、お任せしますよ。

そうして、自分はまた次の役割を探す。

次の役割につきながら、

他の人が自分の役割において力を発揮できるように、

サポートする。ちがう、できるのは、

サポートなんかではなく「邪魔をしない」ことだけだ。

誰だってポテンシャルは持っているのだから、

ただ、力を発揮するのを、

邪魔しないし、されたくもない。


履歴書を書いて振り返れば、自分には

「英語」とか「日本酒」とか、

そういうラベルが、結果として付くことになった。

(「日本酒」に関しては先述の通りで、

「英語」に関して言えば、学校の中では

英語を「話す」ことをやりたがる人が

いないと思ったため、

「話す」ことに注力した延長で、

大学で英語を専攻することにした。

案の定、大学では英語とは違うことに注力した。笑)

「日本酒」「英語」、それは、例えるなら

僕の記憶の本棚にしまってある本のジャンル名だ。

自分の役割と思ったことを、

当事者としてやり込み、

その記録を紙に書きまくった、

そのカタチとしての「本」が心の中にある。

その他にも、たくさんの「本」を書いてきて、

それは誰の目にも触れないような片隅に

ひっそりとしまってある。

中学~大学で体育会系の部活は根性で続けてきたが、

「根性論」もまた「本棚」にしまっておいて、

「根性論」とはまた違うところにある経験を基に、

またどんどんこれから新しい「本」を

書いていけることを、楽しみにしている。

一つのジャンルを貫かずとも、

「本」は確実に心にしまってある。

心にしまっておくことを自分に「許可」している。

そういう意味では同一分野内で

経験を「貫く」ことにはほぼこだわりがない。


役割なんてものは、こうして見ると

きわめて相対的なものである。

一人でいることを好みながらも、

チームで何かをすることを求めるのは、

そこで何かしらの役割を務めることの楽しさを

自然のうちにに求める

社会的存在としての人間だから。