日本酒は「飲み物」です。

酒造りの合理化が進むにつれて、酒造りの「ストーリー性」はますます日本酒のセールスポイントにならなくなるだろう。 またそういった酒造りの合理化によって得られた「モノの良さ」、それももちろん大事だが、技術やスペックの競い合いの結果、日本酒選びはますます難解を極める。そんなときこそ、もっと大事にされるべきは飲み手にとっての「わかりやすさ」ではないだろうか?

(以下、今日まで参加してきた蔵元見学会を通じて思ったこと)

●合理化が進む酒造り

酒造りといえば、「伝統的な技術を持った杜氏(製造の責任者・指揮者)が絶対的な力を持っていて、その腕が酒の良し悪しを決める」とか、「寒さの厳しい過酷な環境で(これはあながち間違いでもないかもしれないが)蔵人が力仕事をして、手作業で造られる」とか、「逆境を乗り越えて汗水垂らしながら渾身の一本ができました」とか、そういう側面がまだいくらか一般的なイメージになっている風潮を感じる。

もちろんそれも一部の蔵では間違いではないのかもしれないが、 現在、実際には一般家庭の出身者が杜氏の役に就いていたり、 少しでも製造スタッフの労力を軽減するために機械ができることは極力機械に任せたり、ということは業界では言うまでもない常識になっている。

今日訪ねた石川の銘醸蔵「菊姫」でもこんな話があった。

「例え杜氏がいなくなって、他のスタッフだけでやらなければならなくなったとしても、それまでと同じ酒ができるように、我々の造る酒には『設計図』というものがある」 「酒造りは神秘でも何でもない。生物学的に解明された微生物の活動をうまく切り取っただけ。それさえわかっていれば誰だって酒は造れる」

酒造りの「ストーリー」的な側面を期待していた人にとってはショッキングな話だと思うが、これらは研究や技術革新が進んできた証であり、当然のことである。

あの「獺祭」の社長も「同じ酒ができるなら、苦労しないでできる方法を選ぶ」と本に書いていたくらいだ。

●ますます難解になる日本酒 研究や技術が進めば、それを表示し、競いたくなる?

日本酒のラベルにはやれ「純米」だの「吟醸」だの書かれている。 さらに裏貼りにはアルコール度数の他に「日本酒度」「酸度」など が書かれている。さらにさらに米の種類や「精米歩合」も。それだけならいいが、「山廃」「生原酒」「しぼりたて」「無濾過」「特別純米」までくると、素人はまずお手上げだろう。

他の参加者が日本酒のスペック(造り方や酒質の分析数値など)について語り合って盛り上がっている場面が散見された。 それに対して僕は(まだまだ駆け出しということもあり) 「この人たちはそんな話の何が楽しいのだろう?」と思うこともあった。

上にあげたラベルの表示、僕も学生アルバイト時代からなんとか勉強してその意味くらいはわかるようになったものの、そこから味わいを想像するのは至難の技。今回の見学会でも多くの酒を試飲したが、 もはやスペックから味わいを想像するのは不可能といって差し支えないだろう。業界のプロだって「途中からどれがどれだかよくわからなくなっちゃった!」と言っていたくらいだ。

数日前に読んだ日本醸造協会誌のコラムにもこんな記述があった。 「よほどのマニアでなければビンの表示だけでは味を判断できない。それが買ったあとの『期待はずれ』感や失望感を生む」

確かに書かれていることはすべて本当のこと。 しかし、味わうことを考えれば必ずしも必要ではない情報が あまりにも多い。

●「分かりやすさ」に出会った そんななかで、表示の分かりやすさに出会った。 先述の「菊姫」日本酒、ほぼすべての酒の裏貼りに 「ー菊姫の酒は濃醇旨口ー」と書かれていたのだ。

「濃醇旨口」という熟語がやや業界用語じみてはいるものの、 「山廃仕込み」という製法や長期熟成(レギュラークラスで2年、吟醸酒クラスで3~5年)などの造りに裏打ちされた「濃醇旨口」が 菊姫の酒に共通して具現化されていたように思った。

各社様々な味わいの酒を展開しているなかで、 「旨口を求めるなら菊姫を」と言い切って差し支えないと、 ビギナーの僕でさえ思えたくらいだ。

「分かりやすさ」「簡潔さ」で言えば、 (手前味噌のようで恐縮だが、僕が携わった酒でないので言わせてもらうと) 「真澄」の新商品「YAWARAKA TYPE-1」という酒の良さを 改めて思った。表のラベルにはゴチャゴチャした表示が一切ない。 裏貼りには米の種類と「純米吟醸」の表示があるものの、 その上の説明文にはこんなフレーズがある。 「この酒は真っ白なTシャツをイメージしました」 「週末・泥酔の酒ではなく、毎日、ほろ酔いの酒」

菊姫」にしても「真澄」にしても、 こういった想像に難くない説明こそ、 手に取ったときの「あ、いいな」につながるはずだ!

●日本酒はあくまでも「飲み物」である

もはや酒は伝統工芸品でもなければ、技術作品でもない。 あくまで「飲み物」というところに立ち返って、 「うちの酒はこんな酒」と言い切ってしまうくらいの潔さ、 あるいはイメージで酒質を伝える簡潔さーそれらでもって 将来の市場の担い手である若いビギナーにとって 高い高い「買う」のハードルを下げられた暁には、 日本酒というのはもっともっと身近な食中酒になるだろう。