僕はもう、これしか着ない。なぜなら、他に持っていないから

長野県に引っ越して来て一年以上が経った。 知り合いに会ったり、ショッピングに行ったりする回数が 東京にいた頃に比べると格段に減った。 そういう生活を送るなかで、自分にとって心地よいものだけ残った。

昨日のこと。

服をたくさん手放した。 「見た目だけでも大人になろう」と思って、 大学を卒業する春に買った二着のジャケットも、

前は気に入っていてよく着ていた、 色鮮やかで印象に残る赤と青の二枚のポロシャツも、手放した。 今となっては服が印象に残ってはいけないのだ。

「自分は元スポーツマンだから、きっといつかまた着る」と思って 手元に置いておいたスポーツウェア一式も、 結局一年で2、3回しか着なかったから、手放した。

それまでは(やや大袈裟な言い方をすると) 自分なりに「TPOに応じた」格好ができることが 大事だと思っていた。

だから、例え(もはや)本当のお気に入りでなくとも、 例え本当に着心地が良いものでなくとも、 「ジャケットは一枚は持っておいた方がいい」とか かっこいいスポーツウェアは残しておこう、とか、 そういう理由から大して着もしない服を持ち続けていた。

「他人に文句を言わせない」格好でいたかったのだ。 (もちろん、実際に文句を言う人はほぼいないのに)

今となっては当然、人に会う機会が減ったから 服にバリエーションをつけなければ、と思うことも減った。 そうするうちに、結局自分が着ていて心地よいものだけ、残った。 心地よい、とは素材が柔らかいとかそういうのはもちろんある。

それから大事なのは、服が必要以上に自己主張していなくて、 うまくプライベートなスペースに潜んでいられる感覚。

そこそこ自己主張する服や、 とっておき、だと思って普段は着ない服に対して、 着ている自分がどう見られるのかハラハラする気持ち、 このカッコいい服(と自分)を見てほしい、とドキドキする気持ち、 そういうのはもう一切カットだ。心地よくないから。

結局今夏の普段着として残っているのは 真っ黒なTシャツとグレーのTシャツ、(合計4枚、どちらも無地) それから寒いときにちょっと羽織る無地のシャツ2枚くらいだ。

もしもカジュアルで「場所に応じた」格好が求められたとしても、

もしも同じ友人と数日を過ごすことになっても、

「自分はこれしか着ない。なぜなら、これしか持っていないから。」

と言うくらいでいたいし、そうするよりほか、選択肢はない。

ただし、ひとつ言えることがある。

ものがすくないのは、きもちいい。

僕はそっちをとる。