買うは一瞬 保有は無期限

今、モノが少ないのがいいと思えるのは、 これまでにたくさんモノを買ってきたからこそ。

●好きなものを買う、ということ

好きなもの(欲しいもの)を買うという行為は、基本的に

好きなもの(欲しいもの)を瞬時に手に入れられる行為で、

(もちろん、お金を稼ぐというプロセスはあれども、 売買の場ではあくまでも時間を必要としない「交換」である)

手っ取り早く楽しい(嬉しい)気分になれる行為だ。

だから、お金さえあれば(いや、なくても) モノを買いたい、お店のモノを自分のものにしたい、 という風に思う気持ちが生まれるのは当然のこと。

そりゃそうだ。 瞬時に嬉しい気分になれる、簡単な方法だから。

●「買う」喜びは買った瞬間のものでしかない

ただし注意しなければならないことがある。 「モノを買う」という行為が保証してくれる幸せや喜びは その買った瞬間のものでしかない。 その後の幸せや喜びはオーナーに委ねられることになる。

こんな経験はないだろうか。 欲しかったものを「手にいれて」満足してしまった経験は。

あるモノ欲しさに、日々お店に通いつめて何度も眺めたり、 それだけでは飽きたらず、ネットでその商品を探したり。

さらには他の類似商品と徹底的にスペックや評判を比較して、 まるでそのモノに「恋に落ちて」いるかのように気持ちを奪われる。

ようやく気持ちが固まって、買った!お金を払った! しかし「手に入れた」というその事実で何だか満足してしまった。

あれほど欲しかったのに、その気持ちはどこへやら。 手にいれてからというものの、 ずっと前から欲しかったけれども、「別に必要ないもの」へと 変わってしまった・・・

●買うは一瞬、保有は無期限

「手にいれて」満足してしまったものの、 手放さない限り、そのモノを長い時間保有することになる。

でも持っている限り、メンテナンスしなくちゃいけないような、 たまには使ってやらなくちゃいけないような。

そんな気持ちに、無意識のうちに苛まれることになる。 それが、ジワジワとストレスになる。

逆も然り。モノが少ないだけでストレスが減る。

●モノを持つのがストレスだと分かったから、こそ

じゃあ最初からモノを買わなければいいじゃないか、と思うか?

確かにたくさんのモノは僕を瞬間的に幸せにしてきた。 それと同時に積もったチリのようなストレスも与えてきた。 そうと分かったから、モノを手放した。

(もちろん、気に入っているものをに保有していることで 得られる無期限的な幸せもある。それを近藤麻里江先生は 「ときめき」と呼んだ。)

そうやってトライアンドエラーを繰り返した先にある 「ミニマリスト」的感覚こそ、 ただストレスを軽減させてくれるだけでなく それもひとつの持続可能な幸せだと教えてくれるのだ。

繰り返し言う、「その先にある」が大事だ。

かく言う僕も、本当の「ミニマリスト」ではないし、 こんまり先生の提唱する「ときめき」というキーワードを 理由に(口実に?)持ち続けているモノはある。

これからも、自らに問い続ける。 「今、自分に必要なものは何か?」