いつまでも「気の合う友人」ではいられない
ちょっと悲しいことを思いついてしまった。
誰にだって、気の合う友人はいる。 僕にもいる。
ブログを書きながら、自分の考えていることを外に出しているから、 「気が合いそうだ」と思ってくれている人もいるかもしれない。
考えの大部分を共有していると思われる 「気の合う」人の話していること、 その人の話を聞いて納得すること、 自分が熱くなって語って、相手も共感してくれること、 それらは大体自分いま考えていることであり、自分の現状だ。
だとすれば、
新しく何かを始めたり、 話だけになっていてまだ実行していないことを これから自分が実行しよう、というとき、
僕は、(もちろん誰でも)その「気の合う」と思っていた友人を 踏み台にして進んでいかなければならないのだ。
だから、自分がある方向に進めば進むほど、 気の合う友人と話していたことが自分の過去の状態であるように、 気の合うと思っていた友人から遠ざかることになる。
その先で出会える人と、今度は付き合う。
そういうわけで、付き合う人はコロコロ変わる。
それを、自分が進んでいる証拠として、 自ら受け入れて、自らを認める。
もちろん、いい方向に進んでいるかは死ぬまで分からないから、 どっちが上で、どっちが下でということもなければ、 友人を「蹴落とす」ということでもないので悪しからず。