力を発揮したのにはワケがある

実は一番大事なのは 「その人にどんな力があってそれをどう使うか」よりも、 「どうしたらそれをやりたくなるか」 というモチベーションの方だったりする―

就職活動や何かのセレクションにおける自己PRでは、 自分の強みをアピールする場面がある。

「自分はこれまでこんなことをした、だからこんな力がある」 みたいな。

でも実はそこにはちょっと脇に置かれてしまうのに もっと重要な要素がある。全く珍しいものではない。それは

「なんでそれをやろうと思ったのか」だ。

甲子園に行く実力をつけるほど練習に打ち込めたのは、

「将来プロ選手になって女手一つで育ててくれた 母親を楽にしたいから」

というモチベーションかもしれないし、

バレーボールの弱小チームの部員別人のように練習に打ち込み、 見違えるほどに強くなったのは、

「きれいな女教師のおっぱいが見たいから」という

モチベーションかもしれない(「おっぱいバレー」を参照)。

それらはひとえに「忍耐力がある」とか、「こつこつ努力できる」 ということの証左にはならないし、

もしも、そういうモチベーションがなかったとしても 何にでも「忍耐力」や「こつこつ努力」出来ると思われたら 本人もかわいそうだし、採る側も「そんなはずじゃなかった」 となる可能性が出てくるかもしれない。

マッチング、マッチング、なんて言って ポテンシャルを見抜いて人を採用したがるようだけれども、

実際に大事なのは、まずやらせてみて、 その中で本人なりのモチベーションが見つかるかどうかであり、

そのために重視されるべきことは、 「その人に力があるかどうか」ではなく、 「どうしたらやりたくなるか」を考えることの方。

ポテンシャル、ポテンシャル、とはいっても、 きちんと自分のことだと思って (自分がやるべきだという使命感を持って) 切羽詰まっていれば、人はきっと何だってやれる。

そんな風に語られる長所なんて、 ぶっちゃけあんまり関係ない。