先生!ぼくは「人の役に立つ仕事」がしたいです!

就活生の主張 「人の役に立つ仕事がしたいです」

「人の役に立つ仕事がしたいです」 そんなことをまっすぐなまなざしで就活生に言われたら

「いやいや、そこに仕事が存在する限り、 どんな仕事だって人の役に立つんだよ」

「人の役に立つように努力することが、キミの仕事なんだよ」

そんな風に諭す人がほとんどだと思う。

ひどい時は

「じゃあ、キミの思う『役に立たない仕事』って何なの?笑」

などという揚げ足取りをする大人げない輩もいる。

それくらい分かってやれ!笑

僕が考えるにそのキーワードは「居場所」だ。


「その」人の役に立つ仕事ってナンだ?

「その」人の役に立つ仕事って?

お客さんに直接良いことができる(と思しき)仕事。 さらに言えば「ありがとう」と言ってもらえる仕事。

ただし、接客業でも パワーバランスが消費者に傾いていると 勝手に消費者が勘違いしがちな小売店や飲食店での 勤務は避けられる傾向にある。

そういう分野での アルバイト時代に客に横柄な態度を取られたことあるよね?

「やりがいのある」とか「社会貢献度の高い」 そういうワードをあげる人たちはきっと、

人と接する中でも「支援者」としての仕事、 (「支援側」は「施す側」だから 意識的にはちょっと上になれる感じ。)

すなわち、教育関係とか、カウンセリング関係とか、 弁護士とか、もしくは対人の「ボランティア」的仕事とか、 医療関係の仕事とか、そういうのを求めているはず。

「教師」が「人の役に立つ仕事」とか「やりがいのある仕事」の 代名詞みたいになっているのはきっとそれ。


なんで「人の役に立ち」たいか

何で「人の役に立ち」たいのか?それはきっと、

会社の人間関係に留まらず、「居場所」を作りたいから。

その「居場所」というのは、 他者貢献「感」から生じる、 「あ、自分はここにいてもいいんだな」という感覚。

人間社会という大きなくくりで大袈裟に言えば、 「あ、おれは生きてていいんだな」という感覚。

それを、組織の中の一部署に求めるのではなく、 組織の中に留まらず、できるだけ広く求めたい。

会社社会ではなく、人間社会に広く求めたい。

これは、「社会的存在」と言われる人間が 人間である以上、ずっと持ち続ける欲求。

それを優先しているということは、 今時の就活生は実はもっと人間的だということ。

だから、彼らはできるだけ多くの人に貢献できる 可能性のある仕事を「人の役に立つ仕事」、 さらに言えば「やりがいのある仕事」と 位置づけて、それを選びたい。

そんな彼らには、いくら給料が高かろうと、 顧客と接することのない内勤的な仕事や、

アウトバウンドセールスで 特に今現在必要でないものを売って、 なんとかかんとか説得した末に受注にこぎつける そういうスタイルの営業なんかは、

イマイチしっくりこないのだろう。


おわりに

プロブロガー・イケダハヤト氏の著書 『年収150万円で僕らは自由に生きていく』の冒頭には こんなことが書かれている。

家を買うために働く、クルマを買うために働く、 夜な夜な遊び歩くために働く。そういうソトヅラの 欲求を満たすためではなく、もっと人間的で、 心の根っこにある欲求を満たす手段として、 若い世代は「働く」ということを位置づけはじめています。

「もっと人間的で心の根っこにある欲求」

僕はそれを上記の「居場所」だと解釈した。

もはや若い世代にとっては仕事は 「居場所」を作るための手段なのだ。

自分の力を生かして、誰かに良いこと「できたかもな?」 そんなちょっとくすぐったくて、 心がホクホクするような感覚が欲しい。

だからこそ、 「人の役に立つ仕事がしたい」などという、 ナイーブな主張が生まれるのだ。

例えその主張が会社社会では潰されようとも、

自分の思うやりかたで幅広く社会の「人の役に立」ち、 「居場所」を作っていくことは 人間の根っこの欲求を考えれば至極当然のことだし、

それを貫いてこそ、「会社人」ではなくて 「社会人」になることができるのだと思う。