もう「仕事」をしているのかもしれない。

僕は大学時代、バーのようなカウンターのあるビストロ(と言う名のついた居酒屋)でアルバイトをしていた時期がある。 その時の働きぶりを今になって客観的に思い出すと、これがひどい。

まず、注文が覚えられない。ハイ、ハイ、と言って注文をとってきたは良いものの、 あれは言われたかな?と不安になってもう一度お客さんのところに戻って再確認することがよくあった。 またある時は注文を間違いなく伝票に書き写したまではよくても、それをシェフに伝え忘れることもしばしば。 特に困ったのは、注文を伝票に書いている途中や、他のオーダーに対応している途中に 「お冷ください」と言われること。水は伝票に書く必要がないから…とやっていると、ほぼ確実に失念する。 おまけに、手元がおぼつかない。おそらく、グラス破壊数はナンバー(ワースト?)ワン!

カウンターの中なので、お客さんにはそういう僕の姿が全部丸見え。 「見ていて安心できない」と言われるほどだった。 (余談だが、それでも僕と一緒にシフトに入っているときは「心穏やかでいられる」と言ってくれた 後輩の女の子の存在は僕にとって大きな支えでもあった。)

そんな僕にも強みがあった。 一つは日本酒に対して強い興味を持てたこと。 実はそのビストロは、フレンチ×日本酒をウリにしていたお店だったから。 しかし当時のバイト仲間には日本酒にこれと言って興味のある人がいなかった。

僕は初めてのシフトの日の賄いでシェフが出してくれた日本酒に衝撃を受けた。 確か磯自慢のしぼりたて無濾過生原酒だったと思う。それは僕の中での日本酒のイメージをガラッと変えた。 そんなこともあり、僕は暇を見つけてはお店にある日本酒の本を読んでは勉強していた。 ビギナーなりに利き酒(楽しい味見)もした。 お客さんの求めている感じの味を、ピタッと出せたことで感謝されたときは、誇らしい気分だった。

もう一つの強みは、初めて来店したお客さんに対しても、積極的に話しかけることができたこと。 お店はとても狭い空間だったし、カウンターに座っているとスタッフ・お客さんともにみんなの顔がよく見える。 それなのに会話がない、というのは僕にとって非常にばつが悪かった。

もちろん、明らかに一人で過ごしたい、話しかけてほしくなさそうなお客さんもいた。 それでも、多くのお客さんは「待ってました!」とばかりに身を乗り出して話してくれた。 カウンターのお店に行くんだもの。どこか話したい気持ちがあるはずなんだ。 ただ話すだけじゃなくて、「この人こうなんですって!」と常連さんに話を振りながら、 新しいお客さんを常連さんとつなげることができて、新しいお客さんの不安な表情が和らいだときは、 誰に感謝されるでもなかったが、僕の中で大きな幸せだった。

僕はかなりのおっちょこちょいで、不注意だ。 それは心がけによるところもあるかもしれないが、 先天的な心の問題であることも、大人になってから薄々感じてきている。 だけれども、それなりに自分には自分のできることがあったし、見つけてきた。 当時「仕事ができない」と言われてきて、きっとこれからもそう言われ続けると思う。 それでも、お客さんがチョット喜んでくれる瞬間を作りだせるということは、 僕はもう「仕事」をしているのかもしれない。 しかもそれは、きっとその場その瞬間で誰かが僕に取って代わることのできない、 オリジナルで「オカガキ」ブランドの仕事。連続性がなくて不確かだけどね。