さぁ、相手の名前を呼ぼう
英語では相手の名前を呼ばなくとも 二人称「you」で会話できちゃうけど、 日本語ではそうはいかない。
学生時代のアルバイトは、 カウンター越しの接客だったから、のべ500人以上と 話をしてきた、とちょっと自慢げに言うこともある。
常連さんもいるから、実際の人数はもっともっと 少ないだろうけれども、 それでも実際の人数にして100人くらいは、と思う。
初対面のお客さんに対して話をするとする。 カウンターには何人もお客さんがいる中で 相手を指し示しながら話を切り出す時にはどうしても 「○○さんは~ですか?」という型を 使う必要があった。
もし話を続けようとするならば、 どこかのタイミングで名前を聞かなければならない。
日本語は二人称「あなた」が非常に使いづらいからだ。 (間違っても、「youは~」と言ってはいけない)
(ただ目配せをして質問をすることもできるけれども、 本当は何かしらの言葉で相手を指し示さなければ、 という気まずさが残る。
(中途半端に仲の良い女の子に対して、 「~さん」とも「~ちゃん」とも呼べないし、 かといって呼び捨てにもできないときの、あの感覚である。 なんか、気まずいんだよね~笑)
言語学的な話に移ると・・・
人間には
・仲間として認められたい、親しくありたい欲求
・相手に踏みこんで欲しくない欲求 の二つの根源的欲求がある。
言語学の専門用語ではこんな理論を 「ポライトネス理論」という。
「相手の名前を呼ぶこと」は
うまくいけば前者の欲求を満たすことができるし、
うまくいかなければ後者の欲求を侵害することになる。
後者の可能性が残されている限り、 「相手の名前を呼ぶこと」はちょっとしたチャレンジだ。
その分、上手くいけば「ニュートラル」ではなくて 「プラス」に働く。
そんなことを考えると、 日本語で相手の名前を呼ぶことは、 単に相手を指し示す行為ではない、 それ以上のものであることが分かる。