そんなことなら、神頼み

   7月4日現在、僕の住んでいる岩手県では新型コロナウイルスの感染者が確認されていない。なんと、それにも関わらず接触感染アプリ「COCOA」のインストール率は全国トップなんだそうだ。

感染者がいないのが本当なら、それ自体は良いことだ。しかし僕は「感染者(確認)ゼロの理由」が「真面目な県民性」に帰着することを危惧している。「真面目な県民性」説が、一層の個々人の意識高揚につながると同時に、(たとえ個人の努力ではどうしようもない要素も多く含まれた結果であっても)「そうでなくちゃいけない」という同調圧力を強めることにつながりかねないからだ。

   先日参加したミーティングにて岩手県(の一部地域)では「店を続けていくだけの自信があっても、そこで新型コロナウイルス感染者を出したら、(たとえ法的責任を問われなくとも)その地域では一生店を続けていけなくなる(だけのレッテルを貼られかねない)」という理由で休業する人がいる、という話を聞いた。それこそ(本当にそうなるかどうかは別として)「村八分」という言葉も出た。ウイルスよりも、人が怖い。

   どこか都合が良い、とか馬鹿馬鹿しいとか思っていたが、そんなことなら「アマビエ」とか「神が鬼に悪さをさせないように『岩』に『手』形を押させた」という県名の由来とかを持ち出された方が、よっぽどマシなような気がする。というか、神様ってそのために作られたんだろう。人に他人を責めさせないように。

 

追記:

岩手県では7月29日に県内初となる新型コロナウイルスPCR検査陽性者2名の確認が報じられた。