「きめ細やかにお仕事をされていたことを感じました」

 最近見ているドラマに『義母と娘のブルース』というものがある。その3話では、小学校のPTAの全面廃止を求めて闘う亜希子(綾瀬はるか)の姿が描かれている。これが誠に痛快だ。

 事の発端は、亜希子が運動会におけるPTAのやり方の妥当性を、初参加のPTA会議で問うたことだ。ずっと前からその任に就いてきたPTAの役員は「新しく来た人に何が分かるのよ」と、亜希子の質問を受け付けない。結果、会議で角を立てたことで、亜希子の娘・みゆきは、PTA役員の母を持つ子供たちから相次いで約束のドタキャンを受ける。そういうわけで亜希子は「そのようなやり方で娘を苦しめる親たちの根城になっているPTAをぶっ潰せ!」とPTA廃止に向けた署名活動を始める。その中で、「あの人になってから仕事がやたらと増えて…」と愚痴をこぼす親がいた。

 全校生徒の約3分の1の親からの署名を集めた亜希子は、改めてPTA役員にPTA廃止の申し入れをする。すると、PTA会長の矢野が「それならば、1週間後に迫る運動会に、PTAは一切の協力をしない」と挑発。「ならば、私1人で運動会を成立させてみせます」と、亜希子も譲らなかった。

 途中まではなんとかなっていたものの、結局運動会の運営は元・スーパーキャリアウーマンの亜希子をしても一人では回らなかった。それを見かねて、数名の、署名活動中に亜希子に気にかけてもらったと思った親が自発的に協力を申し出た。それに触発されて、亜希子とは直接関わりのなかった親たちも、次第に亜希子に協力し始めた。さらには小学校の子供たちの手伝いもあり、運動会はたくさんの人々の自発的な協力によって終えられたのだった。

 PTA会長の矢野からすれば、誠に面白くない。帰り際に亜希子とすれ違った矢野は「良かったですね、PTAが必要ないということが証明されて」と嫌味を言ってみせる。それに対して亜希子は「証明されたのは、やはり、PTAは必要だということなんじゃないでしょうか」と返す。

 

 業務をスリム化し、(無断駐輪取り締まりのための人員を省くために)ハッタリの警官を置いたにもかかわらず、やはり、私1人では回りませんでした。証明されたのは、PTAという名であるかどうかはともかく、学校にとって保護者の組織はマストだということではないでしょうか。それに、この一日で私は何度も聞きました。「去年はこんなじゃなかったのに」「去年はやってくれていたのに」…

 正直、そこまでやるから大変になるのだと思う部分もありましたが、ずっと矢野さんがきめ細やかにお仕事をされていたことを感じました。

 ただ、理想と言われるかもしれませんが、保護者の組織は押し付け合いではなく、今日のようにポジティブに参加できる組織であってほしいと思います。そのための業務のリストラ・スリム化などの改革はなされるべきじゃないでしょうか…PTA会長!

 

 僕にも「そこまでやるから大変になるのだ」と他人に対して思うことが頻繁にある。事を針小棒大にあげつらい、それで余裕をなくすスタイルを「おちごと」と呼んで揶揄してきた。それを「きめ細やかにお仕事をされていた」と表現するのはまことに秀逸だと感じられた。まず、相手のスタイルにリスペクトを与えたうえで、スリム化を提案する。

 様々なことに気づき、ひとつひとつ「きめ細やか」に対応していくことそのものは悪いことではない。ただ、上の引用にもある通り、気づいた事を直ちに「仕事」化し、それを他人に割り振ることには検討の余地があると思う。本当に、やる必要があるだろうか?本当にそれだけのリソースを割く必要があるだろうか?といったようにだ。上の者が気づいたこと、思いついたことを、誰かに「やらせる」のではなく、それぞれがそれぞれの気づきや自発性に基づいて「ポジティブに参加できる」ために「業務のスリム化・リストラ」は必要だと思う。

 気づいたことは「まぁ、やるに越したことはない」ことがほとんどだ。それに対して「やらない理由」を示すことは非常に難しい。主人公の亜希子にはその切り口を与えてもらったような気がしている。