おもてなし

去年からSNSで僕の今住んでいる長野県諏訪市のいいところを宣伝したり、 ブログを通じて今自分がどんなことを考えているのか発信したりしてきた。 すると、友人が遠くからはるばる諏訪を訪ねてくれる。 僕にとって、これは今の生活の中で最も楽しいこと・嬉しいことのひとつ。 去年の4月に諏訪に引っ越してきてからというものの、20人以上のゲストを迎えてきた。

当然、諏訪を案内するのだが、かつては 「こういう人はこんなところに連れていったら楽しんでくれるかな?」というのをはじめに考えていた。 ただ、一緒に歩きながらそれに続くように「実は疲れてるんじゃないか」とか、 「本当のところ、彼らはどんなことがしたいのかな」とか考え始めると、 お互いに気持ちの探りあいみたいな感じになってしまうこともある。

実際には、人の気持ちなんて読み取ることはできないし、 いちいち尋ねていたら、かえって気を遣わせてしまう。 仮に、僕の想像が完全に的はずれで、相手が全く楽しんでいないとしたら、 その場に楽しんでいる人はゼロ。笑

あるときからこんな風に思うようになった。 「案内役である自分がちゃんと楽しめるかどうか」がまず第一で、 こういう人だからこんなところに連れていったら楽しんでくれるかも、ということを第一に考えるのは 「ほれ、こういうところだったら楽しいダロウ?」みたいな傲慢さがあるのだ、と。 例え彼らが関心のないことだって、僕が嘘・偽り一切なく楽しんでいる様子を見せたなら、 あぁ、来てよかったなと思ってもらえるだろうし、楽しい雰囲気は伝染すると思っている。 それこそが、僕にできる一番のおもてなしなのだ、と。あれこれ先回りして何もかもやってあげるよりも。 少なくとも心から楽しんでいる人は一人いる。

だから、誰かと一緒に歩いていて、ついつい分かりもしない相手の気持ちを探ろうとしたときには、 「で、自分はどうしたいの?」と自分に問いかけることにした。 そして、自分が楽しいと思うことを自信をもって主張するし、 そうして選んだことを、素直に楽しむ。 もし空振りだったら、「あんまり面白くなかったね(^_^;)エヘヘ」でいい。

僕を訪ねてくれる人は、ありがたいことになぜかみんな自分を持っている人たちだから、 今度はきっとみんなが面白いことを提案してくれるさ、と。