他人のせいにして生きるのは、辛い

「お前、自分には心当たりがないのか?」

「わかった、

じゃあこれ(武器?)で相手を殴って来い」

この時代、

「いじめられた」と訴える子どもに

こんなことをいう親はまずいないだろう。

「いじめる方が悪い、いじめられる方は悪くない」

というのが確立されたセオリーだからだ。


(これは聞いた話をまとめる形になるが、)

「例え相手が正義によって『裁かれるべき』

対象になろうとも、相手を変えることはできない」

という前提に則れば、冒頭の言葉の示唆するものが見える。

「自分に何かしらの心当たりのある部分」を

自分の手で変えることができるだろう?という提案は

「その状況に対して自分には何かしら手が打てる」

ということを、

「殴って来い」ということは、

「お前もやられっぱなしじゃないだろう

(『相手を殴ることができる』強さを

認めてくれている)」

ということを、

それぞれ暗に示している。

「お前には、そういうアビリティがあるだろう?」


ただ、これを実際に適用するのは

非常に難しいことだ。

「何かあった」ときに、

そう仕向けた大人が「行き場を作ってやらなかった」

ことが取り沙汰されるからだ。

やはり、無難なのは

「あなたは、悪くないのよ」

という言葉をかけること。

親がどんな言葉をかけるかは、

その家庭によると思うが、

いずれにしても、

他人のせいにして生きるのは、辛いことだ。