コミュニティ

資本主義社会下では、簡単に「世間の住人」になってもいけない

『なぜ日本人は世間と寝たがるのか』という本を読んだ。この本を手に取った理由の一つは身近な人が根っからの「世間の住人」であることだ。「自分はこうしたい」という意見を持たず、「世間では」とか「周りが」とか「〇〇という人もいる」という理由でこと…

善意と反緊縮

緊縮財政に対抗するのは、現場の「善意」なのだろうか?という疑問から始めたい。 僕はいわゆる「ゆとり世代」かつ「デジタルネイティブ世代」だということもあり、どちらかというと「働き方改革」側に立っている。デジタルツールを使うことによって省ける手…

いい人の価値が下がる

「いい人をやめれば」的な本を見るたびに、「またまた…」と思っていたのが、「いい人(≒他人にとって都合のいい人)」でいることは確かに自分の価値を下げることにつながると考え始めた。自分の譲れない条件を死守することが、かえって自分の価値を上げるか…

善意がこわい

「一日に30分だけ!」という宣伝文句が付くものはたくさんある。ストレッチ・ヨガ・ウォーキング・読書・英語・筋トレ…どれも「やるに越したことはない」ことで、耐えず上昇することを迫られている人々の「やったほうがいいと思ってるんだけどね…」という思…

余裕のある社会とはどんなものだったのだろうか

相模原事件「植松被告の論理」を、私たちは完全否定できるか(御田寺 圭) | 現代ビジネス | 講談社(3/4) この記事に触発されるように、先日の記事でやまゆり園事件について触れた。 「やることがなくて怒る」悲哀は他人事だろうか - GoKa. 植松死刑囚は一…

「やることがなくて怒る」悲哀は他人事だろうか

ボランティアの人々に動いてもらう際に、既にやることが済んでしまってやることがない(与えられない)と怒り始める人に時々出会す。僕は、怒りは「不安」、さらに噛み砕いて言うと、あらゆる「わからなさ」から来ていると考えている。だとすれば、手が空い…

虚の耐えられない軽さ 実の耐えられない重さ

先日職場で40人程度の「食堂」イベントを開催し、無事終了した。その後周りを見渡してみると、疲労感が見える。しかし、満足感や達成感のようなものも見える。安堵の表情も見える。自分としては常に「これでよかったのかなぁ」という気持ちに苛まれつつも、…